毎月9日の平和公園での座り込み500回に 核兵器廃絶訴える

8月9日に長崎に原爆が投下されたことから、毎月9日に被爆者などが長崎市の平和公園で行っている座り込みが9日、500回目となり、集まった400人余りが強く核兵器廃絶を訴えました。

長崎市の平和公園での座り込みは、1979年に原子力船「むつ」が佐世保に入港したことに抗議するため始まり、その後は毎月9日に核兵器廃絶を訴える活動として行われています。

座り込みは、長崎原爆の日で平和祈念式典のある8月を除き、途切れることなく続けられていて、500回目の9日は被爆者など400人余りが集まりました。

この中で、被爆者団体の1つ「長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会」の川野浩一議長が「どんなことがあっても、核がなくなるまで座り込みをやめないという気持ちできょうまでやってきた。日本と世界の平和のために、これからもがんばっていきましょう」と挨拶しました。

そして、原爆がさく裂した午前11時2分になると、参加者らは「核と人類は共存できない!」と書かれた横断幕などを掲げて、1分間の黙とうをささげました。

1回目の座り込みから参加している被爆者の吉田豊さん(82)は「座りこみは核兵器がある以上やめる気はないし、体調が許すかぎり続けていきたい」と話していました。


【参加者は】

長年にわたって座り込みに参加している被爆者の山川剛さん(87)は「座り込みは平和運動としては大きな波ではなく、さざ波程度の活動かもしれない。しかし、さざ波でも海をわたって、必ずこの思いは核保有国のアメリカにも届いていると思う。500回目の節目は、核がなくなるまで座り込みを続けるいう気持ちをさらに強くする日になった」と話してました。

また、500回目の座り込みには、高校生や大学生などの若い世代の姿もありました。

このうち、高校1年生から座り込みに参加している大澤新之介さん(20)は「自分の平和活動のきっかけになった場所で、これからも通い続けていきたい場所だ。500回目となったが、次の501回目からの活動が大事だと思っている。今後も座り込みを持続可能なものにするために、若い参加者を増やして、活動を継承していきたい」と話してました。


【座り込みの歴史】

平和公園での座り込みは、1978年10月16日に原子力船「むつ」が佐世保に入港したことに抗議しようと翌年の3月16日に始まりました。

およそ3年余りにわたって、毎月16日に行われてきましたが、1982年8月に「むつ」が佐世保から出港したため、翌月からは目的を核兵器廃絶に変え、それにあわせて座り込みも毎月9日に行うようになりました。

それ以来、長崎原爆の日で平和祈念式典のある8月を除き、途切れることなく続けられ、その時々の核に関する問題などを取り上げ、抗議の声などを上げ続けてきました。

そして、最初の座り込みから45年と3か月となったきのう、500回目の節目を迎えました。

県内では長崎市以外の10の地区でも毎月9日に核兵器廃絶を訴える座り込みが行われています。