欧州派遣の千々石ミゲルの墓所発掘調査で報告書 長崎 諫早

16世紀、天正遣欧少年使節の一員としてヨーロッパに派遣された千々石ミゲルの墓の特定に向けて発掘調査を行ってきたグループが最終的な報告書をまとめました。

千々石ミゲルは今の雲仙市に生まれ、1582年、キリスト教を信仰する戦国大名によって派遣された少年使節の一員としてヨーロッパを訪問した人物として知られています。

千々石ミゲルのものとされる戒名が書かれた石碑が2004年に諫早市で見つかって以降、4回に渡って発掘調査が行われていて、調査を行ったグループはおととし「ミゲル夫妻の墓所で間違いないという判断に達した」と発表しました。

26日は調査グループの4人がまとめた2冊の報告書を諫早市の大久保市長に手渡し、完成を報告しました。

大久保市長は「すさまじい努力の結晶で、心から敬意を評したい。調査結果をもとに、いろんな専門家の意見を聞きながら保存・活用するかの検討していきたい」と話していました。

千々石ミゲルの子孫で調査グループ代表の浅田昌彦さんは「肩の荷が下りた気分だ。今後は報告書をもとに専門家や自治体にどう評価いただくか見守っていきたい」と話していました。

また、調査統括をつとめた大石一久さんは「考古学的にも大変貴重な遺構だと感じた。千々石ミゲルをいろんな形から再考する材料にしてほしい」と話していました。

諫早市は今後、市の審議会や県の教育委員会に報告することにしていて、墓所の価値や保護について検討する方針です。