松本サリン事件30年を前に 民放元幹部が報道の課題など語る

松本市の住宅街で猛毒のサリンがまかれ、8人が死亡した「松本サリン事件」から来月で30年です。
これを前に、当時「テレビ信州」で報道部長を務めていた男性が講演を行い、事件報道の課題や教訓について語りました。

平成6年6月27日の夜、オウム真理教が起こした松本サリン事件では、松本市の住宅街にある裁判官の官舎を狙って猛毒のサリンがまかれ、8人が死亡し、140人以上が被害を受けました。
事件から来月で30年となるのを前に、当時「テレビ信州」で報道部長を務めていた倉田治夫さん(74)が8日夜長野市で講演を行い事件を振り返りました。
事件では当初、被害者で第1通報者の河野義行さんの犯行への関与が疑われ、河野さんを犯人視する報道が相次ぎました。
倉田さんは、昭和55年に長野県と富山県で起きた連続女性誘拐殺人事件で被告の男性が無罪となったケースを教訓に、ほかの報道機関が先に情報を出しても焦らず、丁寧に裏取り取材を行うなど慎重な報道を意識したと振り返りました。
河野さんについては、警察の家宅捜索が行われて以降、匿名の報道に切り替えましたが、事件直後には実名を出し、自宅の映像も放送したことなどで結果的に迷惑をかけたと考え、よくとし会社として謝罪したということです。
倉田さんは「犯行をやっていないことの証明は『悪魔の証明』だから難しい。河野さんがシロだとはっきり打ち出せなかったことを30年間引きずっている」と個人としての反省の思いを語りました。
そのうえで、「被害者と容疑者にはそれぞれ人権がある。速報の競争はあるが間違いがないようにし、『信頼されるメディア』を常に意識してほしい」と訴えていました。
参加した須坂市の80代の男性は、「容疑者扱いされた人は立つ瀬がない。1つのメディアだけを見るのではなく、さまざまなメディアを見て自分なりの考え方をまとめないといけない」と話していました。