軽井沢町スキーバス事故8年 現場の慰霊碑に遺族らが献花

長野県軽井沢町でスキーツアーのバスが道路脇に転落し、大学生など15人が死亡した事故から15日で8年です。
現場の慰霊碑にはバス会社の社長や遺族らが花を手向け祈りをささげています。

2016年1月15日、長野県軽井沢町でスキーツアーのバスがカーブを曲がりきれずに道路脇に転落し、大学生など15人が死亡、26人がけがをしました。
事故から8年となる15日、発生時刻の午前2時前には、いずれも当時大学生の子どもがけがを負った母親3人が現場の慰霊碑を訪れました。
このうち、広島県の60代の女性は「子どもとは事故のあと病院で再会しましたが『なんで自分は生きているんだろう』と罪悪感にも似た気持ちに苦しんだようで、どうサポートしていくか私たちも必死でした。バス業界の方々には安全第一の運行をお願いし、私たちもそれをウォッチしていかないといけないと思います」と話していました。
午前5時前には、バスを運行していた東京の会社「イーエスピー」の高橋美作社長らが慰霊碑に花を手向け手を合わせました。
高橋社長は「改めてお亡くなりになられたみなさまのご冥福をお祈り申し上げます。そして、関係するすべてのみなさまに心よりおわび申し上げます」と話していました。
事故をめぐっては、高橋社長と運行管理担当だった元社員が業務上過失致死傷の罪に問われ、長野地方裁判所は去年6月、大型バスに不慣れな運転手が死傷事故を起こす可能性を予見できたのに、必要な訓練を行わなかったなどとして実刑判決を言い渡しましたが、無罪を主張していた2人はいずれも控訴しています。
記者から判決の受け止めなどについて聞かれた高橋社長は「裁判に関するコメントはすべて控えさせていただきたいと思います」と述べるにとどめ、足早に車に乗り込みました。
また、午前10時ごろには当時大学2年生で事故の犠牲となった田原寛さんの両親が慰霊碑を訪れました。
寛さんの形見のマフラーを身につけて献花した父親の義則さんは、「事故から8年たちだんだんと風化していくが、この場所に来ると事故直後に感じたことや見たことを鮮明に思い出します。午後の意見交換の場では、バス業界が去年の判決をどのように受け止めているのかも聞きたいです」と話していました。
午後には、遺族たちの呼びかけで国土交通省の副大臣やバス業界の関係者らが軽井沢町役場に集まり、バスの安全運行や事故の再発防止策などについて意見を交わすほか、慰霊碑の前で犠牲者を追悼することにしています。

事故で亡くなった西原季輝さん(当時21)の母親は発生から8年となるのにあわせてコメントを出しました。
この中で、「次男が生きていればことしで30歳になります。次男の同級生が結婚して子どもが生まれたという話を聞くと、次男にもそういうことがあったのかなと思ったりします。生きていてほしかったです」と率直な思いをつづっています。
また、事故をめぐる裁判で去年6月に実刑判決を受けたバスの運行会社の社長と元社員が控訴したことについて、「いまだに自分たちの責任を認めない姿勢には本当に腹が立ちますが、被告人たちの刑事責任が認められても、次男が帰ってくることはありません」としたうえで、「悲しい事故が2度と起きないよう、国には再発防止に本気で取り組んでほしい」と訴えています。

長野県軽井沢町の事故現場近くの慰霊碑には15日午前11時ごろ、当時、道路脇に転落したバスをつり上げる作業にあたった地元のレッカー会社の加藤幸之助社長が訪れました。
加藤社長は従業員とともに献花台に花を手向け、祈りをささげていました。
加藤社長は「8年はあっという間でした。事故の記憶は鮮明に残っていて、ご遺族の方を思うと今も心が痛みます。このような事故が起きないようにしてほしい」と話していました。

バス会社やトラック会社などでつくる全国運輸環境協会の会員およそ30人も現場の慰霊碑を訪れ、献花台に花を手向け祈りをささげました。
協会の竹島美香子会長は「この事故は防げるものだったのではないかという思いです」と述べました。
そのうえで、ことし4月からバスなどの運転手の労働時間の規制が強化されることに伴い、慢性的な人手不足のさらなる深刻化が懸念される「2024年問題」を念頭に、「教育の充実や運転手の新規確保など負担のない経営をさらに呼びかけ、このような事故が2度とないようにこれからも業界全体で努めていきたい」と話していました。