浅間山噴火と善光寺 住職が240年ぶり現地で犠牲者を供養

浅間山が江戸時代に噴火した際に善光寺が救援活動や供養を行い、これをきっかけに、現在まで継承されている御開帳が始まりました。
8日は、これまでの深い縁を大切にしようと、現役の住職が、240年ぶりに現地を訪れ犠牲者を供養しました。

1400人以上が亡くなったとされる、1783年の浅間山の噴火では、善光寺の等順住職が、現在の群馬県嬬恋村で被災者への食料支援や犠牲者の供養を行いました。
この供養が、現在、数えで7年に一度行われている秘仏の本尊の身代わりとされる仏像を公開する、御開帳のきっかけとなりました。
8日は、栢木寛照住職が現地を訪れ、等順も法要を行った「鎌原観音堂」で犠牲者を供養する法要に臨みました。
栢木住職が善光寺の歴史との深い縁に関心を持ったことがきっかけになったということで、善光寺の現役の住職が現地を訪れるのは240年ぶりだということです。
鎌原観音堂奉仕会の鎌原郷司会長は、「先祖がどんな気持ちでお経を聞いたのかなと思いながら法要に立ち合いました。善光寺が当時の人たちを助けてくれたということを思い返しました」と話していました。
栢木住職は、「これを契機に、今後は、できるだけ鎌原地区を訪れ、地域との交流を深めながらお堂を守る手伝いをしていきたい」と話していました。