奥州市役所 大谷翔平選手のホームラン王を祝う横断幕

奥州市役所 大谷翔平選手のホームラン王を祝う横断幕

岩手県奥州市出身で大リーグ、エンジェルスの大谷翔平選手がアメリカンリーグでホームラン王のタイトルを獲得し、地元の奥州市役所ではホームラン王を祝う横断幕が掲げられました。

奥州市役所では2日午前10時半ごろ、庁舎の正面に「祝MLB本塁打王 大谷翔平選手」と書かれた縦1.2メートル、横10メートルの横断幕が掲げられました。

また市役所の中では大谷選手の背番号17番が入ったエンジェルスのTシャツを着た市の職員が、訪れた人たちに大谷選手のシルエットが施されたうちわやクリアファイルを配って喜びをわかちあっていました。

市役所を訪れた小学6年生は「横断幕がすごい迫力で同じ岩手県民としてうれしいです。大谷選手の言葉は勉強になるので習っている水泳をもっと頑張りたいです」と話していました。

また奥州市の倉成淳市長は「野球少年がそのまま大リーグで活躍している姿を見せてくれたのが非常にうれしい。ことしは20代の大谷翔平選手が二刀流の活躍を見せましたが、今度、復帰した時には30代の円熟した二刀流の活躍を期待したい」と話していました。

岩手県奥州市出身で大リーグ、エンジェルスの大谷翔平選手がアメリカンリーグのホームラン王のタイトルを獲得したことについて、大谷選手が子どもの時に通っていたという地元のバッティングセンターのオーナーは「世界ナンバーワンの選手がここから出るというのは夢のようだ」と話しタイトル獲得を喜びました。

大谷選手の出身地、奥州市にある前沢バッティングセンターは大谷選手が小学校5年生から中学3年生の時までよく訪れて練習していたということです。
バッティングセンターのオーナー小林長男さん(73)によりますと、大谷選手は小学生のころから最速で150キロが出るマシーンでバッティングの練習をしていたということです。

当時の大谷選手の印象について小林さんは「真面目でおとなしい子どもだった。こんなに活躍するとは思っていなかった」と振り返っていました。

また、ホームラン王のタイトルを獲得したことについては「世界ナンバーワン選手がここから出るというのは夢のようで、このバッティングセンターが活躍するカギだったかもしれない。100年に1人、出るか出ないかの偉業を成し遂げるとは、普通の人間には出来ない」とたたえていました。

このバッティングセンターには週末になるとかつて、大谷選手が練習していたことを知った多くの子どもたちが県内外から訪れてバッティング練習をしているということです。

小林さんは大谷選手の今後については「ことし以上に来年は、すごい成績を残すのではないか。日本だけでなく、世界中の子どもたちに夢を与える存在になってほしい」。
と話していました。

大リーグ、エンジェルスの大谷翔平選手が日本選手、さらにアジア出身選手として初めてホームラン王のタイトルを獲得し、出身地の岩手県では地元の新聞社が号外を配りました。

盛岡市に本社がある「岩手日報社」は2日午後から県内各地で大谷選手がホームラン王のタイトルを獲得したことを知らせる号外を配りました。

このうち大谷選手の出身地、奥州市のスーパーの前では買い物に訪れた人などが次々と号外を受け取っていて、その場に立ち止まって記事を読む人の姿もありました。

号外には「大谷本塁打王」や「日本選手初の金字塔」といった大きな見出しが記されていて、2日は県内でおよそ4万9000部が発行されたということです。

号外を受け取った高校生の時に野球部だったという30代の男性は「世界で活躍する選手が奥州市水沢から育ったと思うとすごいと思う。私が高校3年生の時に大谷選手は1年生で当時から身長が高くかっこよかった」と話していました。

また奥州市に住む大谷選手の大ファンという夫婦は「メジャーの試合は全部、テレビで見ていたので格別にうれしいし、ユニホームも持っています。けがをして手術をしたが大谷選手ならば乗り越えられないことはないと思う。来年もホームラン王をとってほしい」と話していました。

大谷翔平選手が大リーグ、アメリカンリーグでホームラン王を獲得したことについて、大谷選手を花巻東高校で指導した佐々木洋監督は『メジャーリーグで日本人が本塁打王を獲得する日が来るなんて想像も出来なかった。日本は古くからランニング中心の練習で、米国はウエイトトレーニング。食文化の違いもあり、その骨格や体格が日米で大きく異なると思っていたが、時代とともに「野球」が変わった。私が小さい頃は飛球を打ち上げると怒られ、ゴロを打つように指導される時代だった。しかし、米国では今「打率」から「OPS」へと選手評価の基準そのものが変わっている。そうした変化に柔軟に対応し、アップデートしていく大谷選手の能力にはいつも驚かされる。誰からも「できない」「やれない」と言われることをやってのける大谷選手は、日本人の思考そのものを変えていくと期待する。子どもたちに高い目標を与え、「非常識」を「常識」に変える生き方で、いつまでも夢を与える選手でいて欲しい』とするコメントを出しました。