小村寿太郎 112回目の命日 日南市の墓前で功績をたたえる

明治の外交官、小村寿太郎が亡くなって112回目の命日となる26日、出身地の宮崎県日南市にある墓の前に地元の人たちが集まり、功績をたたえました。

江戸時代の末期に飫肥藩の武士の家に生まれた小村寿太郎は、欧米との不平等条約を改正して日本が自主的に関税を定めることができるようにするなど、明治を代表する外交官として活躍しました。

明治44年に56歳で亡くなってから112回目の命日となった26日、出身地の日南市飫肥にある墓の前には地元の人など11人が集まり、玉ぐしをささげて功績をたたえました。

そして高橋透市長が「小村侯が外交官として不滅の偉業を残したことは日南市の大きな誇りです。未来のある子どもたちに小村侯の遺徳を継承していきたい」とあいさつしました。

地元の飫肥地区自治会の内田公明会長は「今、世界中でさまざまな紛争が起きていますが、小村さんにもう1回登場していただいてその誠意を持った外交力で平和に導いて欲しいという気がします」と話していました。