県北部の鉱山に強制連行 亡くなった中国人の追悼集会

太平洋戦争末期、県北部の鉱山に強制連行され、過酷な労働や病気で亡くなった中国人を追悼する集会が21日日之影町で行われました。

日之影町と延岡市にまたがる旧槇峰鉱山では太平洋戦争末期の昭和20年2月に中国山東省からおよそ250人の中国人が強制連行され、半年間で3分の1近い76人が過酷な労働や病気で亡くなりました。

追悼集会は例年、この時期に行われていて、日之影町の慰霊碑の前には支援者などおよそ80人が集まりました。

今回は初めて元労働者の遺族7人が参加し、曽祖父が強制連行された肖建永さんが「私たちは歴史的教訓を忘れません。日本の人々と一緒に日中の友好と平和を願っています」とあいさつしました。

参加者は焼香をあげて、犠牲者の冥福を祈りました。

強制連行をめぐっては、元労働者らが国や鉱山を経営していた旧三菱鉱業、現在の三菱マテリアルを訴え、平成22年に原告の敗訴が確定しましたが、平成28年に三菱マテリアルが当時の使用者としての歴史的責任を認めて謝罪し、槇峰鉱山を含む国内の鉱山で働かされた中国人元労働者との間で和解しました。

肖さんは「先祖が強制労働させられた場所なのでとても複雑な気持ちです。戦争が起きて一番苦しむのは一般の国民なので二度と戦争が起きないことを祈っています」と話していました。