漫画家 鳥山明さん死去 「週刊少年ジャンプ」の印刷工場長は

漫画家の鳥山明さんが亡くなったことを受け、「DRAGONBALL」などが連載された雑誌「週刊少年ジャンプ」を印刷している茨城県五霞町の工場のトップは、「孫悟空が強くなるのと一緒に工場も成長し、世界一の部数ともいわれた雑誌に携われたことは誇らしい。もう少し鳥山先生のお手伝いがしたかったので寂しい」と胸の内を語りました。

茨城県五霞町にある共同印刷の五霞工場は、「DRAGONBALL」が全盛でほかにも人気漫画が複数掲載され「週刊少年ジャンプ」の部数が伸び続けるなか、印刷と製本を一貫してできる工場として1993年に竣工し、それ以降、この雑誌の印刷を一手に引き受けています。
工場では、来週発売される雑誌の印刷と製本の作業が山場を迎えていて、輪転機が大きな音を立てていました。
工場長の雨宮弘明さんは、93年に入社してまもなく五霞工場に配属され、あわせて15年ほどこの工場に勤務しています。
雨宮さんは小学生のころ、「Dr.スランプ」の目新しい絵柄や未来的な乗り物に衝撃を受けて以来、鳥山明さんのファンでしたが、五霞工場に配属されるまで「ジャンプ」を印刷しているとは知らなかったということです。
94年には1週で653万部が発行されて歴代最多を記録し、五霞工場では、交代制で24時間フル稼働で印刷していたということです。
雨宮さんは「『DRAGONBALL』の孫悟空が毎週のようにどんどん成長しどんどん強くなっていくと、われわれも技術をつけて一緒になって成長し、どんどん世の中の人に見てもらおうという気持ちでいた。世界一の発行部数ともいわれた雑誌に携われたことは非常に誇らしかった」と当時を振り返りました。
工場では担当者が、印刷されたページのインクの色合いやにじみがないかを丹念にチェックするということですが、「『DRAGONBALL』の印刷を誰が担当するか毎週のように取り合いになったり、印刷した後の検査に明らかに時間がかかっていて、内容に夢中になっているとしか思えない社員もいたりしたほど、みんなが連載に夢中だった」と話していました。
鳥山明さんが亡くなったことについて雨宮さんは、「もう少し鳥山先生のお手伝いがしたかったので寂しい。ただ、印刷を通じて形を残し継承していくところにはまだまだ携われるので、これからも鳥山先生の夢を印刷して、子どもたちに届けていきたい」と話していました。