小澤征爾さん死去 楽団員代表「音を若い世代に伝えたい」茨城

世界的に活躍した指揮者、小澤征爾さんが総監督を務めていた水戸室内管弦楽団の楽団員代表で、「サイトウ・キネン・オーケストラ」の一員でもあるホルン奏者の猶井正幸さんがNHKのインタビューに応じ、「心に大きな穴が空いた気持ちですが、小澤さんの奏でる音はいまも残っているので、若い世代に伝えたい」と話しました。

ホルン奏者の猶井正幸さん(73)は小澤さんと40年来の親交があり、死去の知らせを受け、小澤さんの自宅を訪れ対面したということで「穏やかなお顔をされていた。涙が止まらなかったが、『あとは任せてください』と心の中で誓った」と話しました。
猶井さんの小澤さんとの出会いは1984年、小澤さんが師事した音楽家の故・齋藤秀雄さんをしのんだメモリアルコンサートを開いたことがきっかけでした。
特別に編成されたオーケストラには、小澤さんらの呼びかけに応えた世界中で活躍する齋藤さんの門下生が集まり、今の「サイトウ・キネン・オーケストラ」の母体となりました。
猶井さんはメンバーで初めての音合わせをした当時を「大学の小さな教室で集まったあの日は忘れられない。小澤さんの迫力に圧倒された。オーケストラがそれに応じて音がどんどん大きくなり教室が壊れそうに感じるほどだった」と振り返りました。
その後、オーケストラはヨーロッパでのツアーも行って海外でも絶賛され、「小澤さんは『これは実験の場だ』とおっしゃっていた。斎藤先生から習ったことがどれだけ本場で通用するか。アジアの人間が奏でる音楽がヨーロッパの人たちに共感を得られた」と振り返りました。
猶井さんは、小澤さんと指揮者と演奏者として向き合い、「アイコンタクトを大切にされ、目を合わせて互いに近づいていった。『こうしなさい』という指導ではなく『こうしてみたら』と提案をしてくれた」と振り返りました。
1990年には水戸芸術館の開館とともに専属楽団である「水戸室内管弦楽団」が創設され、小澤さんが音楽顧問に就任します。
その後、小澤さんは水戸室内管弦楽団の総監督になり、猶井さんは楽団員代表という立場で交流は続いたということです。
猶井さんは水戸の楽団での小澤さんを「サイトウ・キネンのコアメンバーが集まったのが水戸の楽団だった。オーケストラが変わっても音楽への姿勢は変わらず、オーケストラに自分の意図を音楽を押しつけるのではなく、みんなと音を作り上げる。音符の裏にあるメッセージまで伝えていた」と振り返っていました。
晩年は病状が進行し、指揮台に立つ回数も減っていましたが、水戸の楽団でリハーサルをした際にも「小澤さんの目の前に大きな時計を置いて、20分の区切りをつけて休憩してもらおうとしたが止まらなかった」といいます。
猶井さんは「小澤さんがつくったオーケストラの音はいまも仲間の中に残っている。それを若い世代に伝えたい」と決意を語りました。