茨城県の若者たちが取り組んだ福島県双葉町の支援 その思いは


原発事故からの復興に取り組む町の支援に、茨城県の若者たちが取り組みました。

福島県双葉町は、11年半前の東京電力第一原子力発電所の事故で、すべての住民が避難を余儀なくされ、今年8月、ようやく、町の中心部の一部で人が住めるようになりました。9月23日、この双葉町で、地域を盛り上げようと、手作りのお祭りが開かれ、茨城県鹿嶋市にある高校の生徒たちも運営に参加しました。

お祭りを企画したのは、この高校の卒業生で、いまは大学生の女性です。どのような思いで、双葉町の支援に取り組んでいるのか、取材しました。

(取材かしま支局/松田佳代子記者)

お祭りは、その名も「双葉まるごと文化祭」。東京電力福島第一原子力発電所が立地する福島県双葉町の駅にほど近い神社の前で、9月23日に開かれました。
地元の人によりますと、今回の祭りが開かれた場所の周辺は、かつては商店街で、小正月には「だるま市」が盛大に開かれるなど、町のにぎわいの中心だったということです。

神社では、この日、原発事故以来途絶えていた秋の例大祭が、今年12年ぶりに開かれました。祭りには、双葉町の住民や、町から避難している人たちが集まり、地元に伝わる「せんだん太鼓」の力強い響きも花を添えて、涙を浮かべながら聴く人の姿もありました。

「双葉まるごと文化祭」は、この神社のお祭りにあわせて、首都圏や東北の大学生などが、双葉町の関係者とタッグを組んで、わたあめや焼き鳥など、7つの店を出しました。そして、茨城県鹿嶋市の鹿島学園高校の高校生たちも参加しました。

(参加した高校1年の男子生徒)
「楽しいですね」

(参加した高校2年の女子生徒)
「たくさんの人と交流ができるような一日にしたいと思います」

鹿島学園高校の卒業生で、大学2年生の宮内愛音さんです。この”文化祭”を企画しました。

宮内さんは、小学2年生のときに、神栖市の小学校で東日本大震災に遭いました。宮内さんに、当時の写真を見せてもらいました。写真には、ペットボトルなどに入れられた水や、非常食を食べる当時の宮内さんの様子などが写っていました。

(宮内愛音さん)
「当時は、震度5強の大きな地震は経験したことがないので、何が起こったかよくわかりませんでした。気づいたら停電していたとか、水が使えないとか、スーパーやコンビニでは物資が不足して、棚が空っぽになっていたり、という感じで、なんか大変なことが起こったんだなという認識でした」

その後は、震災についてふだんから意識することはなかったという宮内さん。大学でインターンシップ先の企業を通じて、双葉町の住民と知り合い、半年前から双葉町をたびたび訪れるようになりました。

(宮内愛音さん)
「震災直後から避難指示が出されていて、11年閉ざされていた町なので、町のイメージとして、さみしいなという感じがしたというのは事実でした。ただ、そこにいま関わろうとしている大人や若者などいろいろな人にすごく熱量があって、こういう地域で楽しいことができたり、おもしろいことができたり、この人たちともっと出会う人が増えたら、きっとこの町はもっと面白くなるだろうなと感じました」

原発事故のあと、すべての住民が避難を強いられた双葉町。ことし8月、一部で避難指示が解除され、11年半ぶりにふるさとで暮らせるようになりました。ただ、町に戻ってきた人は、まだわずかです。

(宮内愛音さん)
「福島県全体で見ると、かなり復興してきていて、日常は戻っているというような地域もあります。そうしたなかで双葉町は、原子力発電所の事故の影響で、人がそもそも入れなかった地域なので、いわば、双葉町にとっては「いま」が本当の震災直後という状態なのではないかと思います。今だからこそ、双葉町の支援はしなければならない、「いま」がほんとに最初の一歩だよと思います」

“文化祭”の一週間前、宮内さんは、後輩たちにも取り組みに関わってもらおうと、母校の鹿島学園高校をたずねました。後輩たちを前に、今回の「双葉まるごと文化祭」について説明しました。

(宮内愛音さん)
「双葉町を知るきっかけが、”震災”とか、”原発”といった、あまりポジティブな意味ではとらえにくいワードしかないので、何か「楽しそう」という視点から、双葉町を知ることができるようなイベントを作ろうというのが、今回の企画の趣旨です」

今回、1年生から3年生までの12人の後輩が、参加することになりました。

“文化祭”の前日。宮内さんと生徒たちの姿が、福島県双葉町の神社の前にありました。宮内さんは、全国の大学生たちや、双葉町の人たちと一緒に、テントを建てたり、出店で使う道具をトラックで運び込むなど、忙しく準備を進めています。一方、神社の社務所では、鹿島学園高校の生徒たちが、翌日に備えて、出店の看板づくりなどに取り組んでいました。

(参加した高校1年の女子生徒)
「小さい頃から、福島が原発でけっこう大変だと知っていて、自分もそういうことに協力したかったけど、なかなかチャンスがありませんでした。今回、学校の卒業生からお誘いがきたのでチャンスだと思って参加しました」

(参加した高校1年の男子生徒)
「自分たちの学校がある鹿嶋市はあんまり震災でダメージはなかったけれど、双葉町はダメージがあるのを見て、自分たちも放っておけないと感じます。あすは盛り上げるという感じで楽しくやっていきたいと思っています」

そして9月23日、祭りの当日を迎えました。

当日は、朝から雨が降ったため祭りの開始が遅れるなどの番狂わせもありましたが、昼ごろには雨もやんで、少しずつ、お客さんが訪れはじめます。

高校生たちも、わたあめや焼き鳥などを作って、お客さんを迎えていました。

(焼き鳥を買った男性)
「いやあ、心強いですよ。最高ですよ」

(双葉町の帰還困難区域に家があり、いわき市で暮らす女性)
「若い人たちとふれあえてとっても良かったです」

(田村市から訪れた男性)
「若い人ががんばっていただかないと、地元も盛り上がっていかないと思うので、ほんとにもう素晴らしい行動だと思います」

(参加した高校1年の男子生徒)
「また参加してみたいなとは思います。ぜひ機会があれば、はい」

若者たちが、町の人たちと一緒に作った手作りのお祭り。
企画した宮内さんは、双葉町への若者の支援がさらに広がるよう、今後も活動していきたいと考えています。

(宮内愛音さん)
「懐かしいような表情をしている人が多かったような気がして、みな楽しそうだったのでよかったと思います。もう一回関わりたいとか、また別の視点で関わりたいみたいなかたちで、長い目で見て、たくさんの地域の方とつながって、関わっていけたらなと思います」

双葉町は、復興に向けては、まだまだ多くの課題がありますが、宮内さんは「復興が進まずさびしい」とか「被災地の人たちは気の毒だ」といったイメージだけが伝わるのではなく、魅力あふれる町の人たちがいることや、楽しく前向きに復興に取り組んでいることが、全国に伝わることで、人々が町に興味を持ち、復興を後押しできるのではないかと話してくれました。
宮内さんたちは、震災と原発事故から12年となる来年の3月11日にも、町を元気づけるような取り組みを検討しているということです。