細田博之 前衆議院議長が死去 79歳

体調不良のため10月、衆議院議長を辞任した自民党の細田博之氏が、10日午前、東京都内で亡くなりました。
79歳でした。

細田氏は衆議院島根1区選出で当選11回。
旧通産省で勤務したあと、平成2年の衆議院選挙で初当選し、これまでに官房長官や自民党の幹事長、総務会長などを歴任しました。
また、自民党安倍派の前身の細田派で会長も務めました。
そしておととし11月、前回の衆議院選挙を受けた特別国会で衆議院議長に就任しました。
細田氏は10月13日に記者会見を開き、ことし7月に脳梗塞の症状が出て別の病気も含め治療を受けていることを説明した上で「国会運営が停滞することは避けなければならない」と述べ、議長を辞任する意向を明らかにしました。
そして10月19日、海江田副議長に辞任願を提出し20日に辞任しました。
一方で、衆議院議員は続けるとして、次の衆議院選挙の立候補に意欲を見せていました。
細田氏は旧統一教会との関係をめぐり、関連団体の会合に出席していたことなどを認めていて、野党側は説明が不十分だと指摘していました。
関係者によりますと細田氏は10日午前、東京都内の病院で亡くなりました。
79歳でした。
細田氏の死去に伴い、衆議院島根1区では公職選挙法の規定に基づき来年4月に補欠選挙が行われる見通しです。

【街の人の受け止めは】
細田氏の死去を受けて松江市では突然の訃報に驚く声やその死を悼む声が聞かれました。
JR松江駅では地元の新聞社が細田氏の訃報を伝える号外を配り、行き交う多くの人が手に取って、記事を読んでいました。
50代の男性は「島根県のために頑張ってもらったと思うので残念な気持ちだ」と話していました。
80代の女性は「復帰することに意欲満々だったのにとても驚いた。地元の人だったので、親しみは感じていた」と話していました。
60代の男性は「貢献してくれたのは間違いないが最後は説明不足のところもあって残念だった」と話していました。
【支持者は】
松江市にある細田氏の事務所には、訃報を聞いて支持者が訪れていました。
長年、支持してきたという男性は、「会社が先生の自宅と隣どうしで、長年親しくしていただいたので、一報を聞いてびっくりしました。先生は気さくな方でわたしの話もよく聞いてもらったし、ずっと島根のためにやられてきた。病気もつらかったと思うが、議長まで務められて尊敬しています」と話していました。

【自民党島根県連幹事長“心から感謝”】
自民党島根県連の絲原徳康幹事長は、午後3時過ぎに報道関係者の取材に応じ、「突然の1報に驚くばかりだ。これまで、国政、県政全般についてふるさとの発展にご尽力をたまわり心から感謝申し上げる次第だ」と話しました。
【島根県 丸山知事“残念でならない”】
島根県の丸山知事は報道関係者の取材に対し、「突然の訃報にただただ驚いている。体調を整えられ、今後もふるさと島根の発展のために指導いただけると思っていたので残念でならない」と述べました。
そして、「島根県選出の議員として人口減少が最も進んでいる地元の課題を解決しようと、多くの法律制定に尽力された。わたしも知事に就任してからさまざまなアドバイスをいただいたので、功績は数え切れない」と述べました。
また、今後については、「国政において大きなポジションを占めていた方なのですぐのその穴を埋めることはできないと思うが、関係者みんなで努力してその損失を埋めることができるように努力していきたい」と語りました。
【松江市 上定市長“残念な思いに堪えない”】
訃報を受けて細田氏の地元・松江市の上定市長は会見で、「びっくりしていて、残念な思いに堪えない。いつも温かく、穏やかに接してもらい、松江のことを心配や期待してもらっていた。細田先生が築いてくれた松江を大切に守っていき、育てて発展させることが残された私の使命と考えている。先生に見てもらっても恥ずかしくない市政運営に今後も励んでいきたい」と述べました。

【補欠選挙は来年4月の見通し】
国会議員に欠員が出ると、補欠選挙が行われます。
補欠選挙は原則として年に2回、4月と10月の第4日曜日に行われることになっています。
細田氏の死去に伴う衆議院島根1区の補欠選挙は来年4月に行われる見通しです。
島根県選挙管理委員会によりますと、これまで県内では、昭和30年と昭和33年に参議院選挙の補欠選挙が行われていますが、衆議院選挙で行われたことはないということです。