終戦直前の山陰地方の鉄道運行状況示す資料見つかる

太平洋戦争が終わる直前の、山陰地方での鉄道の運行状況を示す資料が、鳥取県米子市のJR山陰支社に残されていたことが分かり、当時の鉄道輸送の状況を知る上で貴重な資料として注目されます。

JR山陰支社に残されていたのは終戦前日の昭和20年8月14日の山陰線の運行状況を示すダイヤグラムと呼ばれる資料で、当時の大阪鉄道局が作成しました。
JR山陰支社によりますと、資料には赤色でダイヤの遅れが分単位で書き込まれているほか、黄色で運休の区間も数多く記され、空襲への警戒などで遅れや運休が頻発し緊迫した様子がうかがえるということです。
この資料は昭和20年7月28日に現在の松江市玉湯町で停車中の列車などがアメリカ軍の空襲を受けて多くの死傷者が出たとされる「玉湯空襲」を後世に伝える活動を行っている比田誠さんがJR側に問い合わせる中で見つかったということです。
JR山陰支社によりますと戦時中の山陰線のダイヤはこれまで見つかっておらず、当時の鉄道輸送の状況を知る上で貴重な資料だということです。
資料を閲覧した比田さんは「空襲を受けた列車は特定できなかったが、そのころの様子が新たに分かり、歴史の事実をひも解く手がかりになればいいと思う」と話しています。
JR中国統括本部米子指令所の久保田孝行所長は「見つかったダイヤでは多くの列車が遅れて運転していることが分かり、大変な時代だったことが想像できる」と話しています。