澄川喜一さん死去 出身地の吉賀町などから惜しむ声

澄川喜一さん死去 出身地の吉賀町などから惜しむ声

東京スカイツリーのデザインも監修した吉賀町出身の彫刻家、澄川喜一さんの死去を受けて、ふるさとの吉賀町や、澄川さんとゆかりの深い施設などからは、惜しむ声やこれまでの功績をたたえる声が聞かれました。

東京藝術大学で彫刻を学んだのち、彫刻家として本格的に活動を始めた澄川さんは、ふるさと・吉賀町の名誉町民になっているほか、3年前(2020年)には文化勲章を受章しています。
突然の訃報に、吉賀町の人たちからは、「澄川さんがデザインを監修したスカイツリーを見に行ったこともあるだけに残念です」とか、「吉賀町の町民としてさみしく思う」などと惜しむ声が聞かれました。
また、澄川さんは、益田市にある島根県芸術文化センター「グラントワ」のセンター長を長年つとめていました。
10年以上親交があったという専門学芸員の左近充直美さんは、「島根県のすばらしい自然・文化・人を人生の大事な宝物にしなさいということをよくおっしゃっていたのが印象に残っている」と振り返ったうえで、「同じ時代に生きられてよかったなと思うが亡くなってすごく残念だし、ぽっかり心に穴が開いたような気持ちだ」とその死を悼みました。