約240年前の浅間山大噴火 復興水路遺構を史跡に発掘調査へ

およそ240年前の浅間山の大噴火で壊滅的な被害が出た嬬恋村では、災害のあと、復興事業が行われ、仕事を失った被災者の雇用創出や生活の再建が図られました。
嬬恋村はこうした復興の歴史を語り継ごうと、この事業で造られたとされる水路の跡を初めて詳しく調査し、国の史跡への登録を目指すことになりました。

浅間山のふもとの嬬恋村では1783年の「天明の大噴火」で土石流が押し寄せるなどして700人以上が亡くなり、壊滅的な被害が出ました。
この噴火による被災者を救済する復興事業として造られたとされるのが、およそ6キロの「引湯道」と呼ばれる水路です。
噴火のあと、地元ではお湯が湧き出たと伝えられていて、近くの村の名主が温泉宿の事業を始め、被災者たちがこのお湯を引くための「引湯道」を造る仕事を請け負いました。
これにより、被災者は賃金を得ることができ、生活の再建につながったとされています。
この「引湯道」は石などが積まれた状態で遺構として残っていますが、村によりますと、その内部など、詳しいことはわかっていないということです。
嬬恋村は噴火災害からの復興の歴史を伝える遺構として国の史跡への登録を目指し、ことし9月に、初めて水路の跡の発掘調査を行う方針です。
嬬恋郷土資料館の関俊明館長は「大噴火による被害からどう復興したのかを感じてもらえるような国の史跡にしていきたい」と話していました。