山城の国一揆 新資料 長く続いた“自治的つながり”

戦国時代に、現在の京都府南部で起きた「山城の国一揆」に関する古文書が新たに見つかりました。
古文書からは、一揆が終わったとされた後も、およそ一世紀にわたってメンバーが地域の自治の一端を担っていたことがうかがえ、謎が多い一揆の実態を知る貴重な手がかりとして注目を集めそうです。

「山城の国一揆」は戦国時代の西暦1485年に、現在の京都府南部で起きた大規模な国一揆で、戦乱に疲弊した土着の武士が中心となって守護大名を排除し、8年にわたって自治的な支配を行ったとされていますが、一揆の中心人物など詳しい実態は分かっていませんでした。
愛知県の中京大学の専門家が、奈良県平群町の教育委員会に寄贈された当時の手紙の写しなど124通を分析したところ、山城の国にあった椿井家が一揆の中心メンバーだったことが分かったということです。
また、手紙の写しの中には、一揆が終わった後もおよそ一世紀にわたって一揆で重要な役割を果たした36の家と連絡をとっていて、その中では▼攻められそうになった時には、ひそかに連絡を取り合い、それぞれどこを守るのかを確認しあう内容のものや、▼渡し舟を新調する際にお金を出し合ったことを記録したものなどが含まれ、長く地域の自治の一端を担っていたことがうかがえるということです。
戦国時代の政治史が専門で、資料を分析した中京大学文学部の馬部隆弘教授は「戦国時代の古文書がこれだけまとまって出てくることはとても珍しい。一揆の後もメンバーの“自治的なつながり”が長く続いていたことを示す貴重な発見だ」と話しています。