京都 ALS患者嘱託殺人事件初公判 元医師 起訴内容を否認

4年前(2019年)、難病のALSを患う京都市の女性を本人からの依頼で殺害したとして、別の医師とともに嘱託殺人などの罪に問われている45歳の元医師の初公判が開かれ、元医師は「女性の自宅に滞在したことは間違いないが、別の医師と共謀も実行もしていない」と述べ、起訴された内容を否認しました。

元医師の山本直樹被告(45)は、4年前、医師の大久保愉一被告(45)とともに、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病のALSを患っていた京都市の林優里さん(当時51)から依頼を受け、薬物を投与して殺害したとして嘱託殺人などの罪に問われています。
この事件についての山本被告の初公判が、京都地方裁判所で開かれ、被告は、「女性の自宅に滞在したことは間違いないが、大久保被告と共謀もしていないし、実行もしていない」と述べ、起訴された内容を否認しました。
そのうえで被告の弁護士は「実行したのは大久保被告で、仮に何らかの犯罪が成立するとしても、ほう助にとどまる」と主張しました。

【冒頭陳述の詳細】
<検察は>
29日の冒頭陳述で、検察は次のように主張しました。
2人の関係について、「それぞれ大学の医学部に在籍している時に知り合い、お互いに医師になってからも、親密で良好な関係を継続していて、事件後も逮捕されるまでの間、良好な関係を続けていた」と述べました。
事件までのいきさつでは、「事前に林さんから山本被告の口座に現金130万円が振り込まれたのを見て、振込額が高額で早期に動かなければならない仕事であると自覚したことを大久保被告に伝えたうえ、自分の事業の運転資金やクレジットカードの引き落としに130万円の全額を使った」と指摘しました。
事件当日については、「2人で友人を装って林さんのマンションを訪れ、山本被告は寝室のドアの前に立ちふさがるなどしてヘルパーの行動を見張り、大久保被告が林さんに薬物を注入した。ヘルパーが訪問者の氏名を記録するメモ用紙を渡そうとしたところ、山本被告はドアの前に立ちふさがって入室を阻止し、ドア越しにメモ用紙を受け取って偽名を書いた」と述べました。
<弁護側は>
一方、弁護側は冒頭陳述で、2人の関係について、「山本被告は大久保被告との間に長年にわたる因縁の関係があり、大久保被告の頼みを聞くしかない立場だった」としました。
林さんが振り込んだ現金については、「山本被告は、林さんと大久保被告のやりとりに一切かかわっておらず、大久保被告が山本直樹と名乗っていたので山本被告の口座にお金が振り込まれることになったという事情がある」と主張しました。
そのうえで「被告は京都で落ち合うことを求められ承諾したが、行き先で何をするのかは具体的に知らされておらず、部屋を出たあと大久保被告から説明されて林さんに何をしたのかを知った。林さんの部屋にヘルパーが入れないようにしたということはなく、部屋の中で行われた犯罪の中身を知らなかった以上、山本被告は無罪で、仮に犯罪が成立するとしてもほう助にとどまる」と反論しました。

次の裁判は、来月(6月)8日に開かれ、次回以降、林さんのヘルパーや主治医の証人尋問が行われることになっています。
一方、大久保被告の裁判の日程は、まだ決まっていません。

【林さん・大久保被告でやりとり】
29日の証拠調べで、検察は2018年12月、林さんの安楽死をめぐるツイッターの投稿に、大久保被告が反応したことをきっかけに、両者のやりとりが始まったと明らかにしました。
翌年2019年10月25日には、林さんが大久保被告に、第三者には見られない個別のメッセージ、ダイレクトメッセージを送りました。
「以前『何なら当院に移りますか?自然な最後まで導きます』と返信をいただきました。それからずっと考えていました。本当にお願いできるんだろうか、本当に入院させてもらえそうですか。最後を迎えることは可能ですか」。
これに対し、大久保被告は翌日の10月26日「苦痛が少しでも取り除けるようにお手伝いできればと考えています」と返信していました。
林さんはその後、大久保被告に▼京都で1人暮らしをしていることや▼24時間ヘルパーがいることなどを伝えると、大久保被告から▽「うかがう上で都合の悪い日があれば教えてください」▽「予定が決まったらお知らせします。旅費は出していただければありがたいです」などと返信がありました。
そして、大久保被告は翌月11月1日、林さん宛に「医師の名前が『山本直樹』で紹介状を書いてもらえれば助かります」というメッセージを送ったうえで、旅費などは山本被告名義の銀行口座に振り込むよう伝えていました。
このあと、11月24日に、過去のメールやダイレクトメッセージを削除するよう指示すると、11月27日に、「(事件当日の)30日の夕方に伺うことになりそうです」というメッセージを送っていました。
<※( )はNHKが補足>
一方、弁護側の証拠調べでも林さんと大久保被告のやり取りが明らかになりました。
林さんが当日の進め方をたずねたのに対し、大久保被告は、11月13日に「薬を飲むなりして穏やかに過ごすことになると思います」と返信していました。
このほか弁護側は、林さんが遺言書を残していたことについても触れ、病気と診断されてから死にたいと思っていたので理解してほしいという趣旨の内容を明らかにしました。

【山本被告と大久保被告のメールのやりとり】
検察の証拠調べでは、山本被告と大久保被告が交わしたメールの内容が明らかになりました。
犯行のおよそ1か月前の2019年(令和元年)11月2日、「仕事」という件名で大久保被告から山本被告宛に「詳細は今後話すが、銀行口座を教えてくれ。入金があると思う」などと書かれたメールが送られました。
その4日後の11月7日に、大久保被告から再び、「おたずね」という件名で、「近々、京都に行く用事ない?旅費を出してくれるというALS患者の家に行って、家の様子とか見てほしい」というメールが山本被告に送信されていました。
これに対し山本被告は、「直近で京都に行く予定はないが、行くことはできる」などと返信していました。
このあと、11月16日には、大久保被告から「この間の話だけど、関西で仕事あるときに京都で落ち合えないか。1時間で終わる」というメールが送られてくると、山本被告は「なかなかスケジュールが組めていない。割と急ぎですか?」と返信し、大久保被告はさらに、「年内くらいかな。振り込みはあると思うが、金額は不明」と回答していました。
そして、11月24日に山本被告が大久保被告に130万円が入金されたことをメールで伝えると、11月26日には大久保被告は「今週末には京都行けそう?」とメールを返し、山本被告は翌11月27日に、「(事件当日の)30日夕方ということで」と返信していました。
<※()はNHKが補足。>
一方、大久保被告は11月19日には、山本被告へのメールで、『医療に紛れて殺害マニュアル』という本を執筆しているとした上で、「安楽死したい人には売れると感じる」などと記していました。
メールには本の原稿が添付されていて、見出しには、「在宅医療という無法地帯」「家ならもうやりたい放題」「警察は病死に興味がない」などと書かれていました。
これに対し山本被告は一般的な通販サイトでは規制を受けてしまうのではないかとし、「なかなか売りづらい気がする」などと返信していました。

【父親“もう一人が陰に”】
裁判のあと、林さんの82歳の父親が取材に応じ、「山本被告の顔をきょうはじめて直接見ました。こんな人間があんなことをしたのかと思いました。被告の話を聞くと、もう一人の医師が陰で糸をひき、ほとんど指示したかのように聞こえました」と話していました。
そのうえで、NHKの取材に対し、「裁判の中で弁護側から『発症したときから死を考えていた』という娘の遺書が読み上げられましたが、刑を軽くするために利用されたようで不快でした。2人が罪のなすりつけ合いをするようでは本当のことがわからないので、娘の目を見てなお薬を注入したのが誰なのか、早くもう一人の医師の話を聞き、本当のことを知りたいです」とコメントしました。

【多くの人が傍聴券に並ぶ】
29日の初公判では傍聴券の抽せんが行われ、午後1時半ごろには裁判所に傍聴を希望する多くの人たちが列を作りました。
京都地方裁判所によりますと、用意された55の傍聴席に対し、225人が集まり、抽せんの倍率はおよそ4倍となりました。
大阪から来た70代の男性は「今回の裁判は単なる殺人事件ではなく、尊厳死とか安楽死といった問題が扱われると思い、傍聴券の列に並びました。医療の問題を含めて真剣に考えるべきだと思います」と話していました。

【ALS患者も傍聴に】
29日の初公判には、ALSの患者や家族で作る「日本ALS協会近畿ブロック」の会長で、みずからもALSを患う増田英明さんも支援者とともに傍聴に訪れていました。
法廷では、傍聴席が一部取り外され、増田さんは車椅子で傍聴していました。
閉廷後、増田さんを支援する長谷川唯さんが取材に応じ、「明らかになっていないことが多く、何とも言えないです。増田さんとも話してきましたが、今回の事件は安楽死や尊厳死ではなく、殺人だと思っています。生きていることだけで価値があることで、安楽死などは生きていなくていいという議論になりかねないので、してほしくありません」と話していました。

【事件のいきさつは】
林さんは、自身のブログやSNSで病気のつらさや孤独な思いを訴え、「死なせてほしい」と繰り返し投稿したあと、4年前(令和元年)、京都市の自宅で容体が急変し、搬送先の病院で亡くなりました。
病院で詳しく調べた結果、体内からはふだん服用していない薬物が見つかったため、警察は経緯を慎重に捜査していました。
その結果、林さんはSNSを通じてみずからの殺害を依頼していたとみられることが分かり、3年前(令和2年)、大久保被告と山本被告の2人が、薬物を投与して林さんを殺害したとして、嘱託殺人の疑いで逮捕、起訴されました。
捜査関係者によりますと、林さんは事件当日、2人が自宅に訪れた際、ヘルパーに「知人」だと伝え、部屋の外に出るよう促したということです。
2人は10分ほどで退出し、直後に容体が急変した林さんを、ヘルパーが発見しました。
事件前、林さんは山本被告名義の口座に現金130万円を事前に振り込んでいたことが分かっていますが、現金の振り込みや具体的な金額などは女性が提示していたということです。
こうしたやり取りや依頼を実行する具体的な日時などは、SNSの第三者には見られない個別のメッセージの中で、大久保医師との間で続けられていたということです。
林さんは当時、死期が迫っている状態ではなく、2人の行為は、終末期医療の現場で議論されることもある安楽死とはかけ離れた違法なものとみられています。

【亡くなった林さん】
家族などによりますと、林さんは京都市出身で、市内の大学を卒業したあと東京のデパートで働いていましたが、アメリカの大学に留学して建築を学び、帰国後は東京の設計会社に勤めていたということです。
活発な性格で、勉強や仕事に積極的に取り組んでいましたが、40代になったころ、足に違和感を感じて病院を受診したところALSと診断されます。
その後、仕事を辞めて京都市内に戻り、ヘルパーの支援を受けてマンションで1人で暮らしを始めます。
はじめのころは車いすに乗って外出することもありましたが、徐々に全身の筋肉が動かなくなり、亡くなる前は視線を使って、パソコンで文字を入力したり、文字盤の文字を示したりして、意思疎通を図っていたということです。
専門職など30人ほどの支援チームによる24時間体制の在宅介護を受けていましたが、7年ほどの闘病生活のあと、4年前(2019年)の11月に51歳で亡くなりました。
SNSの自己紹介欄には「自らの生と死の在り方を自らで選択する権利を求める」と書かれていて、症状が進むなか、亡くなる2か月前には「屈辱的で惨めな毎日がずっと続く。ひとときも耐えられない。安楽死させてください」などと投稿していました。

【SNSで知り合った女性は】
裁判を前に、闘病生活を送る林さんとSNSを通じて知り合い、趣味のスポーツについてメッセージをやり取りしていたという女性は、NHKの取材に対し、次のような思いを寄せました。
女性は、安楽死したいという思いから林さんを引き戻そうと楽しいやり取りを心がけていたということですが、事件の前には、返信がなくなっていったということです。
女性は、「林さんは『安楽死をしたくてSNSを始めた』と言っていたが、本当はSNSを趣味をやり取りできるような場にしたかったはずだ」と当時を振り返りました。
そのうえで裁判については、「医師として林さんのことを思ってやったことなのか知りたい。人を殺害することに何の意味があるのか知りたい。被告が林さんとどうつながってどんなやり取りをし、誰が主導的にしたことなのか、事件の経緯が明らかになってほしい」と話していました。