伏見区 水運の拠点「淀津」跡に 2000年にわたる遺構確認

かつて桂川など3つの川が合流し、水運の拠点として栄えたとされる京都市伏見区の遺跡の発掘調査で、弥生から明治まで、およそ2000年にわたる遺構が確認されました。

発掘調査が行われたのは、京都市伏見区の桂川西岸にある「長岡京跡・淀水垂大下津町遺跡」です。
この場所は、かつて桂川と宇治川、それに木津川が合流していて、平安時代の文献には、「淀津」という港があったと記され、水運の拠点として栄えたとされています。
今回、初めて京都市埋蔵文化財研究所が発掘調査をしたところ、地下4メートルから1メートルの地層に、弥生から明治までの10層にわたる遺構が確認され、拠点の歴史はおよそ2000年におよぶことがわかったということです。
遺構から見つかった大量の土器の一部は、上京区の京都市考古資料館で6日から展示されています。
このうち、遺構から見つかった平安時代の瓦は、鳥羽離宮から出土した瓦と同じものだと考えられ、この場所に平安時代に役所か寺院が置かれていた可能性が高いということです。
また、室町時代の遺構から見つかった鉄くずは、鉄を精錬する際に出るもので、この場所では製鉄も行われていたことを示しています。
京都市埋蔵文化財研究所の柏田有香 調査係長は、「2000年にわたる遺構が確認されたこと自体が珍しく、さらに調査し、水運の要所としての成り立ちや変遷を解明したい」と話しています。
発掘成果を紹介する展示会は、10月2日まで開かれています。