ビキニ事件から70年 式典に参加した女性が現地の様子を報告

高知県などの多くの漁船が被ばくした、アメリカによるビキニ環礁周辺での水爆実験から70年となった先月、現地で開かれた式典に参加した女性が、県内に残る元乗組員たちに現地の様子を報告しました。

70年前の1954年、アメリカが行ったマーシャル諸島ビキニ環礁周辺での水爆実験に巻き込まれて、静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」や高知県の多くの漁船が被ばくし、「ビキニ事件」と呼ばれています。

先月、マーシャル諸島の首都マジュロで、被ばくした島民などが参加する式典が開かれ、高知県の漁船の乗組員だった男性の遺族、下本節子さん(73)が初めて出席し、現地の島民と交流しました。

帰国した下本さんは、当時、多くの漁船が出港した室戸市で、現地の様子を報告し、被ばくした漁船の元乗組員やその家族など17人が集まりました。

下本さんは、核実験場の近くの島民たちは、今も島を離れたままであることや、流産を繰り返して甲状腺の病気にもなった島民の女性が「水爆実験で人生を狂わされた」と話していたことなどを報告しました。

また、元乗組員たちが折り鶴で作ったネックレスと、現地の人たちが作った貝殻のネックレスを贈りあったことも紹介しました。

被ばくしたマグロ漁船「第二幸成丸」の元乗組員、久保尚さんは「同じ被害にあった人たちと心が通うというのはうれしいことだと思います」と話していました。