JR福知山線脱線事故から19年 「祈りの杜」で追悼慰霊式

107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から25日で19年です。
尼崎市の現場に設けられた施設では追悼慰霊式が行われ、遺族やJR西日本の幹部などが祈りをささげました。

19年前の2005年4月25日、尼崎市でJR福知山線の快速電車がカーブを曲がりきれずに脱線して線路脇のマンションに衝突し、乗客など107人が死亡、562人がけがをしました。
現場では、脱線事故が発生した午前9時18分とほぼ同じ時刻に快速電車が速度を落としながら通過し、線路沿いの道路では遺族や地元の人などが手を合わせていました。
電車の2両目に乗っていた次男が大けがをしたという西尾裕美さん(66)も現場を訪れました。
西尾さんは、「事故直後の息子は体じゅうにけがをして、口の中は泥まみれでした。一般の方が病院に運んでくれたおかげで、今は左足に障害がありますが働いています。このような事故を絶対に起こさせないために、みんなが忘れないことが一番大事だと思います」と話していました。
マンションの一部を残す形で整備された施設では、午前10時前から追悼慰霊式が行われ、遺族や事故でけがをした人たち、それに、JR西日本の幹部などが参列しました。
式では、はじめに参列した人たちが全員で黙とうをささげました。
続いて、JR西日本の長谷川一明社長が「あの日、私どもは、皆様のかけがえのない尊い命を奪ってしまいました。多くの人の人生を変えてしまった重大さに思いを致し、取り返しのつかない事故を引き起こしてしまったと改めて深く反省しています。JR西日本グループの役員、社員一人ひとりが鉄道の安全を追求していかなければならないとの決意で、たゆまぬ努力を積み重ねていくことをお誓い申し上げます」と述べました。
その上で、長谷川社長は「私をはじめとした経営層が先頭に立ち、お客様起点、現場起点で、ハード・ソフト両面での改善を継続し、さらなる安全性の向上に努めてまいります。将来にわたり、JR西日本グループの役員、社員の一人ひとりが鉄道の安全を追求していかなければならないとの決意で、たゆまぬ努力を積み重ねていくことをお誓い申し上げます」と述べました。
事故から19年となる中、JR西日本では事故のあとに入社した社員が7割近くにのぼっていて、記憶や教訓をどのように伝えていくのかが課題となっています。
追悼慰霊式が行われた「祈りの杜(もり)」では午後3時半から近くに住む人など一般の人たちによる献花が行われました。

【夫を亡くした原口佳代さん】
当時45歳だった夫の浩志さんが通勤のため1両目に乗っていて亡くなった原口佳代さん(64)は、25日の追悼慰霊式に出席しました。
式のあと取材に応じた原口さんは、「会いに来たよ、一緒に帰ろう、という思いで毎年この日を迎えています。覚悟して別れたわけでなく突然の別れだったのでとても心残りがあります。本来なら今頃、夫は定年退職していると思いますが、生前は『定年後は田舎暮らしをしようか』などと話していたので、それが実現できず悔しいし、悲しいです。夫に会いたいという思いは一生続くと思います」と話していました。
そして、JR西日本では事故のあとに入社した社員が全体の7割近くにのぼっていることについて、「19年経っても遺族の苦しみ、悲しみ、寂しさは私たちにしか分からないので、JRはその重みを社内でもっと共有し、下の世代に伝えていってほしい」と話していました。

【事故で負傷した玉置富美子さん】
脱線した電車の3両目に乗り、足や顔などに大けがをした兵庫県伊丹市の玉置富美子さん(74)は自宅で育てた花を持って事故現場を訪れました。
玉置さんは「事故当日もきょうのようによく晴れた暑い日でした。マンションの駐車場に投げ出され、空を見上げると青空が広がっていたこと、救出されるまでの長い間、ジリジリと日に焼かれたことを思い出します。あの日の記憶はすべて覚えていますし、忘れることはできません」と話しました。
その上で「体の傷が治ることは一生ありませんし、19年たった今も後遺症は年々ひどくなっています。JRには事故で人の人生を苦しめたことを反省してほしいですし、その重さをわかってほしいです」と話していました。

【事故にあった福田裕子さんと木村仁美さん】
友人どうしで先頭車両に乗っていて、ともに全身を打撲するなどの大けがをした福田裕子さんと木村仁美さんは一緒に追悼慰霊式に出席しました。
式のあと福田さんは、「『祈りの杜』という形に変わっても、この場に立つと事故当時を思い返し、安全について考える大切な時間になっています。事故が起きた4月25日にこうして継承していくことで、誰かの役に立つと思ってこれからも考え続けます」と話していました。
木村さんは「きょうの気温や強い日ざしは、19年前のあの日の状況に似ていると感じます。毎年現場に訪れることで、『また1年間生きてきた』ということを実感します」と話していました。

【2両目で負傷 小椋聡さん】
電車の2両目に乗っていて、右足の骨折や全身打撲などの大けがをした小椋聡さん(54)は、追悼慰霊式に出席しました。
今はデザイナーとして働いているということで、「この1年は命や健康に関わるテーマの仕事が多かったので、きょうはいっそう命について考える日となりました。この事故をきっかけに、人が命を失うこと、また、生きていくということがどういった意味を持つか、改めて考えてほしい」と話していました。

【現場近くに住む人は】
脱線事故の現場近くに住む矢野隆章さん(66)は、午後2時半ごろ、現場の線路脇を訪れ静かに手を合わせました。
19年前、仕事が休みで自宅にいたところ、事故を目撃した知り合いから連絡を受けて現場に駆けつけましたが、あまりの惨状に立ち尽くすしかなかったと振り返ります。
矢野さんは、「今、思えば、けがをした人に肩を貸すなどして1人でも助けられなかったのかという気持ちがあり、せめてお花だけでもと思って毎年、献花に来ています。JRには、人の行いが原因となる『防ぎようがある事故』を防げるよう、努力を続けてもらいたい」と話していました。

【「組織罰」の制定訴え署名活動】
JR福知山線の脱線事故から19年となった25日、亡くなった人の遺族などが、重大事故を起こした企業の刑事責任を問う「組織罰」の制定を訴えて署名活動を行いました。
この署名活動は、▼JR福知山線の脱線事故や、▼山梨県の中央自動車道、笹子トンネルで起きた事故で亡くなった人の遺族などで作る「組織罰を実現する会」が行い、4人のメンバーが兵庫県尼崎市のJR尼崎駅前で署名を呼びかけました。
多数の犠牲者が出るような重大事故が起きた場合、今の日本の刑法では、企業のトップなどが刑事責任を問われることはありますが、法人などの組織の罪を問うことはできません。
このため団体は、事故を起こした組織に高額の罰金などを科す「組織罰」を新設すれば責任が明確になり、原因の解明や事故防止につながるなどとして法律の制定を目指しています。
19年前の脱線事故で当時23歳だった長女の早織さんを亡くし、この団体の代表を務める大森重美さんは、「日本には組織を罰する法律がなく、問題です。『娘の死をむだにしたくない』という思いが一番強く、引き続き、組織を罰する法律の整備を訴えていきたい」と話していました。

【伊丹駅前 鐘鳴らし追悼】
脱線事故で18人の住民が犠牲となった兵庫県伊丹市のJR伊丹駅前では、事故が起きた時刻にあわせて犠牲者を追悼する鐘が鳴り響きました。
JR伊丹駅前の広場にある「カリヨン」は、鍵盤とペダルを使って43個の鐘を鳴らす楽器で、例年、事故が起きた日に、犠牲者の追悼と安全への願いを込めて鐘を鳴らしています。
25日は、市の職員と、被害者や遺族を支援する団体の弁護士など22人が鐘の前に集まりました。
そして、事故が発生した午前9時18分になると、亡くなった伊丹市民の人数と同じ18回、鐘を鳴らし、現場の方向に向かって黙とうをささげました。
伊丹市危機管理室の井手口敏郎室長は、「かなりの年月が経ちましたが、事故のことを忘れてはならないと思います。今後このような事故が起きないよう、安心安全なまちづくりに努めたい」と話していました。

【現場を通過する列車内では】
脱線事故が起きた午前9時18分とほぼ同じ時刻に現場を通過する快速電車の車内では、現場近くにさしかかる前にアナウンスが流れました。
「本日で福知山線列車事故から19年を迎えます。お亡くなりになられたお客様のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆さま、おけがをされた方々とそのご家族の皆さまに深くおわび申し上げます。私たちはこの事故を心に刻み、安全運行に努め、改めて、お客様から安心してご利用いただけるよう全力をあげて取り組んで参ります」という内容で、乗客が静かに聞いていました。
そして、現場に近づくと速度が落とされ、乗客の中には窓の外に向かって手を合わせ、祈りをささげる人の姿も見られました。
車内で手を合わせていた神戸市の31歳の男性は、「あの痛ましい事故で亡くなった方がふびんでならないと思い、来られる年はこの列車に乗ってお祈りしています。今でも鉄道会社で『ヒヤリハット』の事例が時々起きていますが、何が大切なのかを考えて行動してもらいたい」と話していました。
また、大阪に住む80歳の女性は、「今でも事故のことを思い出すと涙が出ます。私の子どもと同じくらいの年の人が乗っていたので、どうしても忘れられません。月日はあっという間に過ぎますが、事故が忘れられるのは一番悲しいことで、二度とこういう事故を起こしてはいけないです」と話していました。

【JR西労組幹部は】
事故が起きた午前9時18分に現場近くで手を合わせた、JR西日本労働組合の西村勝 執行副委員長は、「このような事故を二度と起こさないと、亡くなられた方やご遺族にお誓い申しあげるために毎年来ています。若い社員を含め事故のことを社内で伝えていきます。このような事故を起こさないというのが会社との共通認識ですので、今後も会社と話し合いを続けていきます」と話していました。

【事故車両展示など検討続ける】
JR西日本の長谷川一明社長は、追悼慰霊式での献花を終えたあと、記者団の取材に応じました。
この中で、長谷川社長は「事故から19年がたったが、まだまだ多くの方々が苦しみ、非常につらい思いで過ごされている。この事故を引き起こした深い反省とともに、安全をこれからもしっかりと築き上げていくことを誓わせていただいた」と述べました。
JR西日本では事故が起きたあとに入社した社員の割合が全体の7割近くを占め、どのように教訓を引き継いでいくかが課題となる中、会社は、事故を起こした車両などを保存する施設の建設を大阪・吹田市の社員研修センターの隣で進めています。
これについて長谷川社長は「事故車両は、大切な方がお亡くなりになられたり、けがをされたりした場所そのものだ。これから入ってくる社員などには事故車両を見てもらい、事故に対する思いをより深めてもらいたい。保存のあり方についてはご遺族などから意見をいただいているが、多くの方々にご納得いただけるような形にしていきたい」と述べ、展示方法などについて検討を続けていく考えを示しました。