JR福知山線脱線事故から19年 事故後入社の社員7割近くに

107人が死亡したJR福知山線の脱線事故から25日で19年です。
JR西日本では事故のあとに入社した社員が7割近くにのぼっていて、事故の記憶や教訓をどのように伝えていくのかが課題となっています。

19年前の2005年4月25日、尼崎市でJR福知山線の快速電車がカーブを曲がりきれずに脱線して線路脇のマンションに衝突し、107人が死亡、562人がけがをしました。
25日はマンションの一部を残す形で整備された追悼施設で、事故が起きた午前9時18分にJR西日本の役員たちが黙とうをささげたあと、追悼慰霊式が行われる予定で、長谷川一明社長がおわびと追悼のことばを述べることになっています。
事故から19年となる中、会社は、事故を起こした車両などを保存する施設の建設を大阪・吹田市にある社員研修センターの隣で進めています。
完成は来年12月ごろになる見込みで、会社としては、社員が事故の悲惨さや安全について学ぶ場所にしたいとしています。
ただ、一般に公開するかどうかについては、遺族などの間でさまざまな意見があることから、会社が検討を続けています。
JR西日本は現在およそ2万5000人の社員がいますが、事故のあとに入社した社員は全体の7割近いおよそ1万7000人にのぼっていて、記憶や教訓をどのように伝えていくかが課題となっています。

【朝の会場周辺】
尼崎市の事故現場にある追悼施設「祈りの杜(もり)」では、25日午前6時ごろからJR西日本の社員などが花を運び入れたり、いすを拭いたりして追悼慰霊式の準備を進めていました。

【発生時刻 JR西日本社長ら黙とう】
脱線事故が起きた午前9時18分には、JR西日本の長谷川一明 社長や、運行部門のトップである中村圭二郎 副社長らが電車が衝突したマンションに向かって深く頭を下げ、黙とうをささげました。