被災者を「災害関連死」に認定するか判断 審査会が初会合 

能登半島地震のあと亡くなった被災者を災害関連死に認定するか判断するための審査会は、14日初めての会合を開いています。

被災後の避難生活などによるストレスや疲労を原因とする災害関連死の認定は、市や町が遺族からの申請を受けたうえで、有識者による審査会を開いて判断することになっています。
能登半島地震では、石川県内のいずれの市や町も、県が選定した医師と弁護士あわせて5人の委員のもとで審査する合同開催の形が取られ、14日、初めての会合を開いています。
初会合には輪島市と珠洲市、能登町が参加していて、必要な書類がそろっている申請の一部を対象に審査を行っています。
この場で認定するよう答申が出された申請については、それぞれの自治体が最終的な決定を行ったうえで遺族に通知することにしています。
能登半島地震のあとに亡くなった被災者について、災害関連死に認定するよう遺族が行った申請は、これまでに少なくとも100人にのぼっています。
自治体別では、輪島市が53人、能登町が16人、七尾市が14人、志賀町が10人、穴水町が7人となっています。
石川県は、これまでに15人が災害関連死の疑いがあると発表していますが、今後の認定によっては、能登半島地震による死者が大幅に増える可能性もあります。

《申請の遺族は・・・》
能登半島地震での災害関連死の認定をめぐっては、これまでに少なくとも100人の申請が遺族から出されています。
このうち石川県輪島市滝又町の中竜夫さん(71)は、避難中に亡くなった妻の紀子さん(71)について、災害関連死に認定するよう市に申請しました。
能登半島地震が発生したあと、自宅に被害を受けた中さん一家は、近所の住民たちとともに農業用の倉庫に身を寄せ、避難生活を送りました。
地区は道路の寸断で孤立状態となり、断水や停電が続きました。
住民たちは、徒歩で支援物資が届いている場所まで行き、食料などを持ち帰るなどして過ごしていたということです。
竜夫さんによりますと、紀子さんに変わった様子はありませんでしたが、地震から9日後の1月10日、昼食をとったあとに体調が急変したということです。
要請したドクターヘリは、天候の問題で飛ぶことができず、紀子さんは、病院に搬送されることなく息を引き取ったということです。
死因は、「虚血性心疾患の疑い」でした。
竜夫さんは「変わった様子はひとつもなく、突然の死でした。頭が真っ白になってこの先どうしたらいいのかという気持ちになりました。地震さえなければ亡くなることはなかったのにと悔しい思いです。残念としか言いようがありません」と話していました。
そして、「地震がなければいつもと一緒の生活をして、急に具合が悪くなっても道路を通って病院に行くことができました。地震によって亡くなったことを認めてほしいです」と話していました。