江戸時代の地震記録した古文書 内灘町で同様の液状化被害

江戸時代、金沢周辺に大きな被害をもたらした直下型地震について記録した古文書が金沢市で展示されています。
このなかで、元日の能登半島地震で深刻な液状化被害が確認されている内灘町では、江戸時代も同様の被害が発生したことを示す資料も展示され、専門家の注目を集めています。

金沢市の前田土佐守家資料館では元日の能登半島地震を受けて江戸時代の地震を記録した3つの古文書が紹介されています。
このうち、加賀藩に仕えた前田直養の日記には1799年、金沢周辺に大きな被害をもたらした地震が発生し、城の石垣が大きく崩れたことが記されています。
この地震は直下型地震で、金沢城が大きな被害を受けたほか、21人が死亡、家屋の全壊は990棟に及んだといわれています。
また、当時の内灘町の様子を記録した古文書には、1月の能登半島地震で大規模な被害が確認されている荒屋地区や宮坂地区で当時も液状化とみられる被害が発生したことが書かれています。
住宅が損壊した住民の話として「国がひっくり返ったのではと気絶するぐらい驚き、いつでも逃げ出せるように舟で暮らした」と記されています。
資料館の竹松幸香副館長は「現在も江戸時代も大変な地震があり現在の避難生活をほうふつとさせる点を感じ取ってほしい」と話していました。
これらの古文書は4月21日まで展示されます。