先が見えない状況が続く「福祉避難所」

障害者のグループホームなどが入る石川県輪島市の福祉施設は、地震の直後から「福祉避難所」として、被災した高齢者などを受け入れていて、2か月がたった今も、介護や介助が必要な30人余りが身を寄せています。
施設側は本来の障害者向けの施設として再開させたいと考える一方で、避難している高齢者の受け入れ先を見つけるのは難しいのが現状で、先が見えない状況が続いています。

障害者のグループホームなどが入る石川県輪島市の「ウミュードゥソラ」は、地震の発生直後から、福祉避難所として、日常的に介護や介助が必要な高齢者を受け入れてきました。
地震の発生から2か月がたっても30人余りが身を寄せていて、県外からボランティアで集まった医師や看護師、それに介護士などが、高齢者の体調管理や、トイレや食事の介助などを行っています。
一方、地震までグループホームで生活していた障害のある人たちは、集団で愛知県の別の施設に避難していて、将来的に戻りたいと希望する人について施設側は受け入れる考えです。
このため、避難を続けている高齢者やその家族には、ほかの福祉施設に移ることも提案しているということですが、石川県内の施設は定員がいっぱいで、受け入れ先は県外しか見つからないといいます。
2月末には、避難していた80代の夫婦が、山口県の福祉施設に入ることになり、スタッフや友人に見送られながら避難所をあとにしました。
ただ、地元で安定して暮らせる場所が定まらない中で、当面、この福祉避難所にとどまることを希望する人も多いということで、避難者と施設のどちらにとっても先が見えない状況が続いています。
施設に避難している80歳の男性は「自宅は被災しましたが、家族もいるので、輪島からは離れられません。つえがないと生活できない私でも安心して暮らせる場所を地元に作ってほしい」と話していました。
地震の前から施設で働き今は高齢者の支援に当たっている看護師の中村悦子さんは「県外での避難を選んだ人には『いつか必ず輪島に帰れるからそれまで健康で頑張ろう』と声をかけて送り出しています。福祉避難所はいつかは閉じなくてはいけませんが、“期限が来たからさようなら”とは言いたくありません」と複雑な心境を話していました。