珠洲市 津波に巻き込まれ生存も家族を失う

能登半島地震ではこれまでに222人の死亡が確認されていますが、石川県珠洲市では津波に巻き込まれながらも、水面から顔を出して命をとりとめた男性がいます。
男性は津波に巻き込まれた当時の状況を振り返るとともに、一緒に避難する際に亡くなった家族への思いを語りました。

珠洲市宝立町鵜飼地区の市町俊男さん(75)は妻と妻の両親の4人で、沿岸部に暮らしていました。
阪神大震災のあと、防災士の資格を取得した市町さんは地区の代表として、地元の人たちに防災を呼びかけていたといいます。
1月1日の地震で珠洲市では震度6強の揺れが起きたあと、市町さんはすぐに家族3人とともに徒歩で近くの避難所を目指しました。
市町さんはふだんから避難所までの経路を想定していたということですが、住宅や塀が幅1.5メートルほどの狭い道路に覆いかぶさるように倒れていたため、通ることができませんでした。
遠回りしながら避難所へと急ぎましたが、避難を始めてから10分もたたないうちに津波が襲ってきたということです。
市町さんは「津波は1回だけでなく、2回、3回と次々に襲ってきて、そのうちに水位も上がってきました。水中で体が回転し、もうだめだと思いましたが、もがいて水面から顔を出してなんとか助かりました」と当時を振り返りました。
市町さんがなんとか命をとりとめたあと、気付くと義理の父親の衆司さん(89)の姿が見えなかったといいます。
市町さんは、衆司さんを探しに行くべきか悩みましたが、再び津波が襲ってくるおそれもあり、生き残った妻と義理の母親の命を守ることを優先すべきと考えたということです。
市町さんたち3人は命からがら避難所にたどりつきましたが、地震から2日後、衆司さんは自宅からおよそ200メートル離れた場所で遺体で見つかりました。
市町さんは「遺体と対面したとき、『申し訳ありませんでした』と頭を下げました。はぐれたときは本当に探しに行こうかと思いましたが、いつ津波が来るか分からない状況でした。罪悪感を感じています」と心情を打ち明けました。
そのうえで、市町さんは「今回の地震は今まで経験したものとは比べものにならないほどの大きな揺れで、津波の到達も早すぎました。残された私たちが義父の思いも考え、前に進みたいとは思いますが、まだ気持ちの整理がつかない状態です」と話していました。