10管本部長 知床沖観光船事故の乗客家族の思いを胸に

北海道の知床半島沖で観光船が沈没し、20人が死亡、6人が行方不明となった事故から23日で2年。この事故で現地対策本部長として対応にあたったのが、鹿児島市にある第10管区海上保安本部の坂巻健太本部長です。離島も多く広大な海に囲まれた鹿児島。2年前の事故から得られた教訓とは何なのか、話を聞きました。

(鹿児島放送局記者・熊谷直哉)

【乗客の家族と向き合い葛藤した40日あまり】

(10管・坂巻本部長)
「知床の悲惨な事故を風化させてはいけない。この事故を振り返って安全対策をさらに強化していく」

おととし10月、第10管区海上保安本部の本部長に着任した坂巻さん。去年11月に屋久島沖で起きたオスプレイの墜落事故の捜査などを指揮してきました。

前任は国土交通省で危機管理を担当する大臣官房審議官。鹿児島に赴任する直前まで対応に追われたのが、知床沖の事故でした。

現地対策本部長として事故の翌日に知床入りし、乗客の家族と面会。連日、捜索状況を報告するとともに、観光船の運航会社に対し、説明を求める家族の声を伝えました。公の場に姿を見せない運航会社を説得し、事故から4日後に説明会の開催にこぎつけましたが、当時の自身の対応には悔いが残るといいます。

(10管・坂巻本部長)
「社長と話をして“2日後に(説明会を)やりましょう”と決めた。戻って家族に説明したところ“それでは遅すぎる”と。そこからまた日程を変更して翌日に(説明会を)実施することにした。ご家族のことを考えればすぐやるということで、強く会社に言うべきだった」

その後も、運航会社のずさんな安全管理の実態が次々と明るみになり、それを見抜けなかった国への批判も相次ぎました。行方不明者の捜索も難航。全員を見つけることができないまま、40日あまりの現地での対応を終えました。

(10管・坂巻本部長)
「ご家族の気持ちがなるべく揺れないようにと考えて対応したつもりだが、私の力がいたらなかった。(ご家族は)悲しみだったり、怒りの気持ちも含めいろんな思いがあったと思います。私の言葉で正確に表現することができないようなつらい気持ちだったと思います」

【「事故が未来の命を救う礎になったのだと思いたい」】
そんな坂巻さんが大切にしているものが、手帳に印刷して挟んでいる一通のメールです。
乗客の家族に鹿児島への異動を知らせた時に送られてきたものだと言います。 
    
(10管・坂巻本部長)
「“この事故が未来の数え切れない命を救う礎になったのだと思いたい”そういった声をいただきました。“思いたい”なんですよね、“思う”ではなくて。なので、実際思ってもらうには、われわれ行政にかかっているし、関係する事業者がきっちり安全運航に取り組むということにかかっていると思い、非常に心の戒めになるメッセージをいただいた」

【鹿児島でも大惨事につながりかねない事故も】
離島との往来やレジャーなど、多くの船が行き交う鹿児島。一歩間違えば知床の事故と同じような大惨事につながりかねない事故も起きています。

去年5月には甑島沖で14人乗りの瀬渡し船が炎上。漁船に救助されましたが、船は沈没しました。12月には、十島村のフェリーが悪石島沖で火災を起こし、乗客11人が救命いかだで脱出しました。

海上保安庁では今、安全運航に向けた事業者への指導のほか、事故が起きた際、すぐに救助できるよう漁船などとの連携を強化しています。

(10管・坂巻本部長)
「知床の事故が北の海での遠い地方の他人事だと思わずに安全運航に努めてほしい。当たり前のことを当たり前にきちんとやる、日々手を抜かずにやるということにつきる」

“悲惨な事故を2度と繰り返してはならない”
大切な人を失った家族の言葉を胸に、海の安全に取り組んでいく決意です。

(10管・坂巻本部長)
「知床の事故を経験した後は、いろんな業務を実施する、考えるにあたって、ご家族に対して恥ずかしくないかというのは考える。顔が浮かびますね。鹿児島の海に安全と安心を作っていくのがわれわれの使命なのであらゆる取り組みをとっていく。それがご家族の気持ちに今の立場で応えることができるすべてのことだと思う」