鹿屋航空基地史料館 開館から30年 記念式典

太平洋戦争中、海軍の一大攻撃拠点として国内最多の特攻隊員が出撃した鹿屋市で、特攻隊員の遺影などを展示する史料館が開館から30年となり、24日、記念式典が行われました。

太平洋戦争末期、旧海軍の鹿屋基地からは、全国の基地で最も多い908人の特攻隊員が出撃し、帰らぬ人となりました。

鹿屋航空基地の敷地内に1993年に建てられた史料館では、亡くなった若い隊員たちの遺書や遺影、それに平和を願って復元されたゼロ戦「零式戦闘機」などおよそ6900点を所蔵しています。

25日で開館から30年となることを記念して、24日、式典が開かれ、自衛隊や地元の関係者などおよそ40人が出席しました。

この中で鹿屋市の中西茂市長は「戦後78年を迎え、戦争の記憶が風化しているなかで、戦争の悲惨さと平和のありがたさを発信する史料館の役割は重要なものになっている」とあいさつしました。

一方で、鹿屋基地には去年11月からアメリカ軍の無人偵察機が全国の自衛隊基地で初めて配備され、アメリカ軍の関係者が最大で200人駐留しています。

これに関連して、海上自衛隊鹿屋航空基地、第1航空群の藤原直哉司令は「多くのアメリカ軍関係者が史料館を訪れ、かつて敵として戦った特攻隊の人たちにも1人1人顔があり、家族がいたことに触れている。昔の人の心の叫びや歴史を知っていただくためにも、引き続き見ていただきたい」と話していました。