鹿児島実業から阪神入団 横田慎太郎さん脳腫瘍で死去

鹿児島実業から阪神入団 横田慎太郎さん脳腫瘍で死去

鹿児島実業高校からプロ野球・阪神に入団し、脳腫瘍と闘ってきた横田慎太郎さんが18日、亡くなりました。
28歳でした。

横田さんは鹿児島県出身で、鹿児島実業から2013年のドラフト2位で阪神に入団しました。

プロ3年目には開幕戦にセンターで先発出場を果たすなど、将来の中軸候補として期待されていました。

しかし、プロ4年目の春のキャンプ中に頭痛を訴えて脳腫瘍と診断され、闘病生活を送りながら実戦復帰を目指したもののかなわず、2019年に24歳で現役を引退しました。

病気の影響でボールが二重に見えることもあった状態で引退試合に臨み、センターからの好返球でランナーをアウトにしたプレーは「奇跡のバックホーム」とも呼ばれ、書籍などで紹介されました。

引退後は地元の鹿児島に戻って、通院しながら自身の経験を伝える活動などを続けていましたが、阪神によりますと18日午前、脳腫瘍のため亡くなりました。

28歳でした。

【横田さん 去年、鹿屋体育大学で大学生にエール】
元阪神の横田慎太郎さんは、去年6月、鹿屋体育大学で大学生を前に講演し、「いま苦しい思いをされているかた、悩み苦しんでいるかた、絶対に自分に負けず自分を信じて目標を持って少しずつ前へ進んで行ってください。きっと幸せな日が来ると思います」とエールを送っていました。

【横田さんの恩師 鹿児島実業高校の宮下正一監督は】
亡くなった横田慎太郎さんを高校時代に指導した鹿児島実業高校の宮下正一監督は、「『奇跡のバックホーム』のときも、あれだけ1軍選手が集まってくれて、最後、引退試合ができたことも奇跡。人との付き合い方、接し方が皆さんに評価されていたのだと思います」と振り返りました。

宮下監督は、5月中旬に横田さんの父、真之さんから「最長2週間かもしれない」と言われて、神戸市内の療養施設に行って会ったのが教え子との最後となったということです。

そのときのことについて、宮下監督は「酸素マスクもしていたので話しができる状況になかったです。慎太郎の顔を見ていたらどうしても涙が止まらずに泣いてしまい、『復活しろ』という気持ちは伝えてきたつもりでした」と話しました。

横田さんの母校、鹿児島実業高校は夏の甲子園出場を目指して、21日、神村学園との全国高校野球鹿児島大会の準決勝に臨みます。

宮下監督は「慎太郎、お疲れさま、本当にありがとう。感動をいただきましたと伝えたいです。いま大会中で後輩たちも頑張っているので、天国の慎太郎にいい報告ができるように頑張っていきたい」と話していました。

【阪神の平田勝男ヘッドコーチは】
阪神の平田勝男ヘッドコーチは横田さんが引退した2019年に2軍の監督を務めていました。

平田ヘッドコーチは「訃報を聞いて、ただただ、さみしいし悔しい。横田は入団してきた時から常に全力でひたむきに野球に取り組む選手だったし、病気になってからも鳴尾浜で毎日、毎日、朝早く来て練習して、ベンチの中でも誰よりも声を出してチームを盛り上げてくれて、そういう横田の真摯に野球に取り組む姿勢、最後まで諦めない思いが、最後に『奇跡のバックホーム』を生んだと思うしそんな横田が、こんなにも若くして逝ってしまうなんて、なんて言葉に表したらいいのかわからない。横田の意志をしっかり胸に刻んで、タイガースの中で受け継いで戦っていきたいと思います」などとコメントしています。

【阪神2軍の田中秀太内野守備走塁コーチは】
阪神の2軍の田中秀太内野守備走塁コーチは2013年当時、担当スカウトでした。

田中コーチは「横田は誰よりもひたむきに野球を一生懸命に頑張る子でしたし、病気とも一生懸命闘って、最後まで諦めずにここまで頑張ってきたので、どうか安らかに眠ってほしいという思いです。横田の思いも背負って、横田のような常に一生懸命に取り組む野球選手を育てていきたいと思います」などとコメントしています。

【阪神同期の梅野隆太郎選手は】
横田さんと同じ、2013年のドラフトで指名を受けて入団した梅野隆太郎選手は「本当に人懐っこくて面白い弟のような後輩で、プロの世界に入って『お互い頑張っていこうな』と誓い合ってプロ野球生活がスタートして、横田といえば寮の室内練習場で毎日、毎日打ち込んでいる姿が印象的で、横田が開幕戦でプロ初スタメンになったシーズンも一緒に戦って、うれしかったり悔しかったり、いろいろな思いを共有してきた仲間なので、本当に残念という思いが1番です。横田の諦めない姿から自分もプロ野球選手として最後まで諦めずに戦い抜くという思いを強くしたし、こうして野球ができることへの感謝の思いをもって、横田の想いも常に自分の中に持ち続けて、現役生活をまっとうしていきたいです」などとコメントしています。

【鹿児島実業高校の同級生は】
鹿児島県の鹿児島実業高校の同級生で、横田さんと一緒に甲子園を目指した福永泰志さんは、「きのう夕方亡くなったと聞いてすごく鳥肌が立ち、ことばが出なかったです。去年12月に講演をしている横田に最後に会ったときは元気な姿だったのでびっくりしています」と話しました。

福永さんは高校時代は横田さんと同じくピッチャーと外野手でした。

打順も3番と4番で競い合っていたライバルだったということで「負けたくない気持ちを高校3年間、ずっと持ち続けていました。一緒に野球ができたのは、すごくうれしかったですし、思い出です」と当時を振り返りました。

そのうえで、「本当に早すぎる、と思いますが、闘病生活は最後の最後まで苦しみながら頑張っていたと思うので、いまはゆっくり休んでね、という思いです」と話していました。