馬毛島基地着工から半年 ベテラン漁師は何を思う

アメリカ軍の空母艦載機訓練の移転先として、馬毛島で自衛隊基地の建設が始まってから、今月12日で半年となります。馬毛島とともに生きてきた人たちは、変わりゆく島の姿をどう感じているのでしょうか。馬毛島沖で漁を続けてきた男性に、今の思いを聞きました。
(鹿児島放送局 金子晃久)

【基地建設で一変した漁師としての人生】
種子島に住む押川登さん(88)。およそ70年、漁師を続けてきました。夕方、港に戻ってきた押川さん。実は今、漁はほとんどしていないと言います。

(押川さん)
「漁には出られない。ことしは馬毛島のほうは漁が禁止になったから。今はもう“警戒船”1本」

押川さんが海に出るのは、基地建設が進む対岸の馬毛島沖でのパトロールのため。漁協からの依頼で「警戒船」の仕事を請け負っているのです。馬毛島ではことし1月、防衛省が自衛隊基地の工事に着手。これに伴って、周辺海域での漁業が禁止されました。長年続けてきた漁ができなくなった押川さん。胸の内では、この状況を受け入れられずにいると言います。

(押川さん)
「やっぱり漁師がいいよ。魚が捕れるほうが嬉しい。捕れてたらやるよ。網でも何でも持ってるから」

【忘れられない馬毛島での家族との思い出】
豊かな漁場として知られ、かつて「宝の海」とも呼ばれた馬毛島沖。そんな馬毛島に、若い頃、移り住み、20年以上を過ごした押川さん。島での家族との思い出は、今も色あせることはないと言います。

(アルバムを見せる押川さん)
「これがお父さんで私。やっぱり似とるな。これは私が25歳のとき、嫁さんをもらったときの写真。子どもも馬毛島で生まれて」
「これが、海岸で貝を焼いて食べてる写真やな。ウニとかナガラメとか、いっぱいおるもん」
「これはうちのお父さんが馬を飼っていたから、その時に馬に乗って撮ってくれた」

種子島に戻ってきてからも、毎日のように素潜り漁に出かけるなど、馬毛島はずっと身近な存在でした。

(押川さん)
「最高や。こういう時代が一番良かった」

【当初は計画に反対も今はあきらめ】
しかし、基地建設で、漁師としての人生は一変しました。当初は漁ができなくなるとして反対していましたが、工事が進む中、今はあきらめにも似た思いだと言います。

(押川さん)
「私も最初は反対だったよ。でもよく考えるとそういう時代になってきたから、もう諦めるより手がない。もう馬毛島のいまの仕事がいいんじゃないか」

馬毛島とともに生きてきた押川さん。変わりゆく島の姿を複雑な思いで見つめています。

(押川さん)
「昔から見れば全然変わっている。寂しいな、やっぱり。昔から見れば。基地建設には賛成じゃなかった。いい島やったもんな、馬毛島は。これが自衛隊基地になっていろいろと変わってくる。もう私にはわからない」

種子島漁協によりますと、押川さんのように「警戒船」など基地建設に関係する仕事をしている組合員は全体のおよそ2割に上っています。漁から離れる人が増える中で、地元の漁業の衰退が懸念されています。