鹿児島から北朝鮮に拉致されたのは…“特定失踪者”家族の思い

北朝鮮が初めて拉致を認めた日朝首脳会談から9月17日で20年になります。ただ、この時、1978年に鹿児島から拉致されたことが分かった市川修一さんたちの帰国は、いまだに実現していません。再会を待ち続ける兄の健一さんが繰り返し語ってきた「全員の帰国をかなえるまで諦めない」という言葉には、意外な真意がありました。

(鹿児島放送局記者 平田瑞季・西崎奈央)


【日朝首脳会談で明らかになった“特定失踪者”】

「この20年誰1人として帰国を果たしていない。むなしさといらだちを感じますよね」

そう話すのは、44年間、弟の修一さんとの再会を訴えてきた拉致被害者家族の市川健一さんです。ただ、待ち続けてきたのは、弟との再会だけではありません。市川さんは「特定失踪者」の存在をずっと気にかけてきました。

20年前に帰国したひとり、曽我ひとみさんは、当時拉致との関連が分かっていませんでした。そのため、拉致被害者とは認定されていないものの、拉致の可能性が排除できない「特定失踪者」がいるとされたのです。

特定失踪者の家族は鹿児島にもいて、拉致被害者家族の市川さんとともに帰国を訴え続けてきましたが、市川さんは「特定失踪者やその家族の人たちにもスポットを浴びせてほしい」と常々考えてきました。

【知られていない特定失踪者】

そのうちの1人、村岡育世さんの兄の田中正道さんは、29年前、千葉県で車に服などを残して行方不明となりました。

田中さんは、その直前に免許の更新をしていました。「みずからいなくなる人間が免許の書き換えまで行かないと思うんですよね」と話す村岡さん。兄の失踪には背景があると考えてきました。

そして、調査の結果、脱北者とする人物の証言などから「拉致の可能性が高い」とされました。しかし、その後に直面したのは、拉致被害者とは異なり世間での理解が広がっていない特定失踪者の現実でした。

(村岡育世さん)
「特定失踪者と言っても簡単に分かってもらえないのが現実で、今は期待するよりもこのまま私が亡くなるのを待っているのかと思うようになってしまいました。何も進展がないまま時間が過ぎてしまう恐怖心もあります」

【「貴重な20年失われた」】

もうひとりの特定失踪者家族が前山利恵子さんです。この20年で貴重な時間が失われたと感じています。

両親の園田一さんとトシ子さんは、51年前、大崎町の自宅から車で宮崎空港へ向かう途中に行方が分からなくなりました。前山さんは母親がよく身につけていたスーツを再会したときに着ようと欠かさず手入れし続けてきました。

(前山利恵子さん)
「再開がかなった時にこの服を着て「お母さん覚えてる?」って言いたいと思っているんです。だからいつ連絡が来てもすぐに取り出せるようにわかりやすい場所にしまっています」

【期待は高まったものの…】

もっとも希望を感じたのは2014年でした。北朝鮮が日本政府が認めていなかった特定失踪者も含めて調査すると約束。

当時の安倍晋三総理大臣は「北朝鮮側は拉致被害者および拉致の疑いが排除されない行方不明の方々を含め、すべての日本人の包括的全面調査を行う」と述べたのです。

その時々の気持ちを書き留めてきた前山さん。当時は“今回が最後のチャンスのように思います”や“必ず朗報があると信じて待ちたい”などと高まる期待を綴っていました。

しかし、2016年に北朝鮮側は調査を中止。前山さんの文章には“何もかもが遅い”“祈るしかない”と、期待が不安に変わっていく心情が記されていました。

【両親とのつながり感じる瞬間】

そしてことし‐。両親は104歳と93歳になる年です。前山さんは最近、母親のスーツから思いがけないものを見つけました。

(前山利恵子さん)
「母が服の首元を少し縫って長さを調節しているんですよ。母も私と同じことをするのだと今、初めて気づきました。私たち似たもの親子なんだと思ったんです」

生きて再会する望みを持つことはなくなってきたと前山さんは話しますが、それとは裏腹に、両親とのつながりを感じる瞬間はむしろ多くなっているのだといいます。

(前山利恵子さん)
「この20年はすごく大事な貴重な時間だったと感じます。20年前なら父は80代、母も70代だったため、まだ希望が持てました。どこにいたかも真相がわからないままこのままで終わらせたくない」

【3家族で闘う】

前山さん、村岡さんたちの思いも背負い続けてきた市川さん。あらためて「全員の帰国」を訴え続ける覚悟です。

(市川健一さん)
「認定・未認定にかかわらず被害者を帰せと迫るしかないと思います。悩みが一緒だからただ奪還しようという強い気持ちで闘っている。私たちの闘いは特別なものじゃないんです」

【取材を終えて】

これまで市川健一さんの取材を続けてきましたが、前山さんと村岡さんに話をじっくりと伺う機会はありませんでした。家族の行方が突然分からなくなった上に、認定されていない「特定失踪者」について理解が広がっていない二重の苦悩を、特定失踪者の家族は抱えていることを突きつけられました。

「高齢になる両親の年齢を考えると希望を失いつつある」「自分がいつ亡くなるか分からない」と焦りを口にする3家族にとっては、一刻の猶予もありません。解決の糸口を見つけるためにはどうすればよいのか。これからも取材を続けていきます。