迫田穆成さん死去 広島商業で選手・監督として甲子園優勝

迫田穆成さん死去 広島商業で選手・監督として甲子園優勝

広島の高校野球の名将が、亡くなりました。
強豪・広島商業で選手や監督として夏の甲子園で優勝し、現在は竹原高校で監督を務めていた迫田穆成さんが、1日朝、亡くなりました。
84歳でした。

広島市出身の迫田さんは、高校野球の強豪・広島商業で選手として2年連続で夏の甲子園に出場し、3年生だった昭和32年にはキャプテンを務め、夏の甲子園で優勝して広島勢では戦後初の日本一となりました。
その後、母校の広島商業の監督に就任し、昭和48年にはのちにプロ野球、カープでキャッチャーとして活躍した達川光男さんなどを擁し春夏連続出場しました。
春のセンバツ準決勝では剛速球で怪物と呼ばれた作新学院の江川卓投手に対し、ボールをよく見て球数を多く投げさせバントや機動力を使って得点につなげる野球で2対1で勝って準優勝を果たしました。
その年の夏の甲子園では決勝で静岡高校に勝って指導者としても日本一となるなど、監督として春夏合わせて6回、母校を甲子園出場に導きました。
その後、甲子園の出場経験がなかった三原市の如水館高校の監督となって春夏合わせて8回の甲子園出場を果たすなど強豪校に育て上げ、令和元年からは竹原市の竹原高校で監督を務めていました。
弟で同じく広島商業の監督を務めた守昭さんによりますと、迫田さんはがんのため11月から体調を崩していましたが、30日に病院に入院し1日午前6時ごろに亡くなったということです。
84歳でした。