原爆投下後の広島の写真・映像 ユネスコ「世界の記憶」推薦へ

世界的に重要な記録物を人類の財産として保存するユネスコの「世界の記憶」に、原爆投下後の広島で撮られた写真や映像の資料など2件が日本からの候補として推薦されることになりました。

ユネスコの「世界の記憶」は、世界的に重要な記録物を人類の財産として保存することなどを目的に国際的に登録する制度で、2年に1回審査がされます。
2025年の審査に向け推薦候補を検討していた関係省庁の連絡会議は、28日、申請があった5件の中から2件を推薦することを決定しました。
このうち、広島市や中国新聞社、NHKなどが共同で申請した「広島原爆の視覚的資料‐1945年の写真と映像」は、原爆が投下された1945年の8月6日から12月末までに広島で撮られたきのこ雲や被爆当日の市民の惨状などの写真1532点と、当時のニュース映像などの動画2点が含まれています。
推薦理由として、多様な撮影者が被爆者や町の状況をその瞬間に撮影し、世界的に希少な写真が多く、原爆投下で何が起きたかを知り決して繰り返さないという人類共通の課題に取り組むために失ってはならない遺産だとしています。
別の1件には、東京の増上寺が所蔵する経典が推薦されました。
登録の可否は、再来年春のユネスコ執行委員会で決定される予定です。

ユネスコの「世界の記憶」に推薦されることになった「広島原爆の視覚的資料‐1945年の写真と映像」のうち、広島市の原爆資料館に展示されてる原爆の「きのこ雲」の写真を撮影した中国新聞社の元記者の山田精三さん(95)が、NHKなどの取材に応じました。
広島に原爆が投下された際、山田さんは、広島市の旧制広島第一中学校、いまの広島国泰寺高校の夜間部の3年生で、爆心地から北東におよそ6.5キロ離れた場所で、写真を撮影しました。
写真は、木々の後ろに「きのこ雲」が立ち上る様子を捉えたもので、原爆資料館にも展示されています。
その後、中国新聞社の記者として活躍した山田さんは当時の状況について、「下のほうから虹色の波紋が上がってきてドカーンと音がしました。そのあとで赤と黒の絵の具のチューブを絞り出して混ぜたような色の雲が浮かんでいたので、何なのかも分からず撮影しました。あとになって、原爆の『きのこ雲』と知り、とても許せないと思いました」と話しました。
そのうえで、「私はたまたま撮っただけですが、人類にとって貴重な写真だと思います。原爆の恐ろしさや、こうしたことが2度と起きたらいけないということを感じてもらえたら1番いいと思います」と話していました。