大垣日大高校の阪口慶三監督 この年末で退任を発表

甲子園の高校野球で優勝と準優勝をあわせて4回果たした名監督の退任会見です。
岐阜・大垣日大高校の阪口慶三監督が健康などを理由にこの年末で退任することを発表。
甲子園にかけた思いを語りました。

40人を超える報道陣が詰めかけた会見場。
79歳の監督が退任の理由を明らかにしました。
「ことしに入ってから非常に疲れが残るようになり、グラウンドで生徒を褒めたり叱ったりする声が出づらくなったのが大きな理由の一つ」「非常に楽しい57年だったと思います」。
(平成14年の東邦練習)。
1967年から、愛知の強豪・東邦高校を率いた阪口監督その厳しい指導から「鬼の阪口」と呼ばれました。
1989年のセンバツで上宮を破り優勝。
(大垣日大平成19年練習)。
東邦を定年退職した後、大垣日大の監督に就任しました。
ところが、甲子園出場経験のない選手たちをこれまでと同じように指導したところ、思わぬ反応を経験します。
「もうパニックだ、死んじゃう、やめたるか、こんな言葉が。これはいかん、大垣日大に何で来たんだ、強いチームを作るためにきたんだ、そしたら阪口の名前を捨てるべきだ、この子にあった阪口にならないかん」。
褒めて伸ばす指導に方針転換した阪口監督。
「いいボールだ!」「いいカーブだ!」。
「仏の阪口」は就任3年目でセンバツに初出場。いきなり準優勝を果たしました。
一方、この3年孫の高橋慎選手を人一倍、厳しく指導。ことしは春夏連続で甲子園に一緒に出場。通算40勝を果たしました。
「孫と3年間本当に充実した毎日だった。その孫が卒業すると、それが僕の気持ちを引退、勇退という考えになったのは間違いない」。
35回出場した甲子園。昭和・平成・令和と3つの元号で勝利をおさめた唯一の監督で、79歳3か月での出場と勝利は歴代最高齢記録でした。