岐阜城で織田信長が活躍したころの天守台の石垣が見つかる

織田信長が天下統一の拠点とした岐阜城で、天守台の南西の角から信長が活躍した16世紀中頃のものとみられる石垣が新たに見つかり、当時の岐阜城の規模や構造の解明につながるものと注目されています。

岐阜市によりますと、市の発掘調査で、岐阜城の天守台の南西の角から、縦80センチほど横70センチほどの大きさの石2つが新たに見つかりました。
石材の詰め方などから、信長が岐阜城に入城した1567年直後に使われたとみられるということです。
岐阜城では、1910年に天守を再建する工事が行われた際に石垣が組み直されたことから、信長が活躍した当時の石垣の所在が不明となっていました。
こうした中、令和元年度に行われた発掘調査で、天守台の北西から信長時代の石垣が初めて確認されました。
今回見つかった石垣は、この延長上にあり、これにより当時の天守台の西側の石垣の長さがおよそ14メートルだったことも新たにわかったということです。
日本の城郭に詳しい滋賀県立大学の中井均名誉教授は「日本の城郭史において、安土城で完成したとされる天守の起源を考える上で、重要な発見である」とコメントしています。
岐阜市文化財保護課の内堀信雄主幹は「信長が急しゅんな金華山に非常に苦労してつくったことをうかがわせるという点で、画期的な発見だと思う」と話しています。