バドミントン 桃田賢斗選手 日本代表引退を表明

バドミントン 桃田賢斗選手 日本代表引退を表明

バドミントンの男子シングルス、元世界ランキング1位の桃田賢斗選手が18日記者会見を開き「気持ちと体のギャップが続き、世界一を目指すところまでいけないと判断した」と述べ、日本代表を引退することを明らかにしました。

桃田選手は、18日午前、東京・新宿区で記者会見を開きました。

この中で桃田選手は、「自分なりに試行錯誤してきたが気持ちと体のギャップが続く中で、このまま世界一を目指そうというところまでいけないと判断した」と述べました。

その上で、「代表に選ばれてからおよそ10年間、しんどいことばかりだったが、貴重な経験をさせてもらい、とても充実した代表人生だった」と述べ、今月27日から開かれる団体戦の国と地域別の世界一を決める「トマスカップ」を最後に日本代表を引退する考えを明らかにしました。

桃田選手は香川県三豊市出身の29歳。

バドミントンの指導を受けるため富岡町に移住し、全国有数の強豪・県立富岡高校に進学。

1年生の3月に起きた原発事故から卒業までは避難先の猪苗代町で練習を続けていました。

その後、国内外の大会で活躍し、男子シングルスで世界ランキング1位になったほか2018年と19年には世界選手権を連覇するなど、日本のエースとして活躍しました。

選手としての活動は今後も続けていくということで、国内の大会に出場しながら、バドミントン教室での指導なども行っていくとしています。

桃田賢斗選手の母校、富岡高校でかつて、校長を務めていた青木淑子さんは双葉郡出身のオリンピック選手を応援する団体を設立したり、桃田選手が出場する日本選手権を高校の同窓生たちと観戦に行ったり、応援を続けてきました。

日本代表の引退について「いつまでも富岡町、富岡高校卒業、富岡魂と言い続けてくれていることに励まされ続けてきたので日本代表を離れることは正直残念です」と複雑な気持ちを語りました。

その上で、「つらいことも乗り越えてきた彼の姿には感謝と敬意を表したい。彼の頑張りが私たちを元気にしてくれていたのでありがとう、お疲れさまと言いたい」と話してました。

桃田賢斗選手の母校富岡高校で当時男子の監督を務めていた、本多裕樹さんは、「在学中から負けず嫌いで、マイナスの言葉を口にせずに常に世界で勝つことを考えて自分を高めていた選手でした。いろんな挫折がありながらも世界で戦い続けたことについてまずはごくろうさまといいたい」と語りました。

富岡高校は原発事故の影響で休校となり、バドミントン部は新たに広野町に開校したふたば未来学園高校に引き継がれ本多さんは、この高校で監督を務めています。

日本代表の引退について「桃田がいたことによって今のチームや実績があります。私たちにとって非常に大きな存在で桃田を越えていく子どもたちが現れることが恩返しだと思うので、これからも世界で活躍できる選手を育てていきたい」と話していました。

ふたば未来学園高校2年生の川野寿真選手は「自分が小学生の時から世界で活躍している憧れの選手で、自分がこの学校に来るきっかけにもなった大事な存在です。代表引退は驚きましたがこんどは自分が世界で通用する選手になれるよう頑張りたい」と話していました。

桃田賢斗選手の母校富岡高校のバドミントン部が原発事故のあと猪苗代町に移って活動を続けていた当時、桃田選手が下宿していた民宿の元オーナー平山眞さん(75)は、「『まずはお疲れさま。ゆっくり休んでください』と伝えたい」と、これまでの日本代表としての活躍をねぎらいました。

その上で、「これからのバドミントン人生を設計して、子どもたちへの指導でも貢献してもらえたらうれしい。後輩の選手たちの成長に桃田選手は大きな影響を与えてくれました」と話していました。