大熊町とは、学び舎ゆめの森とは、大熊町の住民の話

【大熊町とは】
福島第一原発が立地する大熊町は、12年前の原発事故のあと、一時、全域が避難指示を受け、11000人あまりの住民が町を離れて避難を余儀なくされました。

4年前、町西部の大川原地区と中屋敷地区で避難指示が解除され、町は、このうち大川原地区を復興の拠点と位置づけて、新しい役場の庁舎や公営住宅などの整備を進めてきました。

去年6月には、かつての町の中心部だった地区で避難指示が解除され、今月1日の時点で町内には避難先から帰還した住民や移住した人など1000人あまりが暮らしています。

ただ、町の面積のおよそ半分ではいまも避難指示が出され、人口の9割は県内外に避難しています。

【学び舎ゆめの森とは】
大熊町の「学び舎ゆめの森」は、義務教育学校と認定こども園などをあわせた教育施設です。

町は、4年前に原発事故にともなう避難指示が解除され、復興拠点と位置づけて公営住宅などを整備してきた大川原地区に校舎の整備を進めてきました。

町の学校は原発事故のあと、およそ100キロ離れた県内の会津若松市に避難して授業を続けてきましたが、今年度、12年ぶりに大熊町内に戻り、新たにこども園も開園しました。

ゆめの森の校舎はことし6月に完成し、いま、31人の子どもたちが通っています。

【大熊町の住民 松永秀篤さん】
大熊町の松永秀篤さん(71)は、生まれ育った沿岸の地区の自宅を津波で流され、4年前に、避難指示が解除された大川原地区に自宅を再建し、妻と2人で暮らしています。

地区に学校が戻るまでは、町内で子どもの声を聞く機会はほとんどなかったといいます。

住民の多くが避難を続ける中、地元の子どもたちにふるさとを忘れてほしくないと考え、学校が避難していた会津若松市で地域の盆踊りのお囃子や笛を子どもたちに教えてきました。

町内に学校ができ、子どもたちの声も戻ってきて、松永さんは「子どもの声が聞こえるようになってすごく勇気づけられている。これからの大熊町が楽しくにぎやかな町になってほしい」と話していました。

一方で、震災と原発事故が起きる前までいっしょに暮らしていた松永さんの子どもや孫たちはいまも町を離れて暮らしています。

松永さんは「いま町で学校に通う子どもたちを見かけると、どうしても自分の孫たちの姿と重ねてしまう」と話していました。