作曲家 古関裕而氏「野球殿堂」入り 応援歌を数々手がける
野球界の発展に大きな功績を残した人をたたえる「野球殿堂」に福島市出身の作曲家、古関裕而氏が新たに選ばれ、地元では関係者が喜びあいました。
福島市出身の作曲家、古関裕而氏は、夏の全国高校野球の大会歌、「栄冠は君に輝く」やプロ野球、阪神の「六甲おろし」など数多くの野球の応援歌を生み出しました。
古関氏は、「野球殿堂」の中でも、幅広く野球の発展に貢献した人をたたえる特別表彰の候補に4年連続で入っていて、13日は、ことしの選考結果の発表時間にあわせて、古関氏の銅像があるJR福島駅前の広場に市や母校の福島商業高校の卒業生など関係者が集まりました。
そして、地元念願の古関氏の殿堂入りが発表されたという情報が入ると、集まった人たちはバンザイするなどして喜び合いました。
続いて、福島市の木幡浩市長などがくす玉を割って祝ったあと、その場に集まった全員で「栄冠は君に輝く」を歌いました。
木幡市長は、「待ちに待った栄冠が輝き、喜びは格別だ。福島に古関さんがエールをくれたように思う。今後は古関さんゆかりの野球の試合を開くなど、功績を継承していきたい」と話していました。
古関氏の親戚の古関嘉子さん(85)は、「長年の功績が認められて本当にありがたいし心の底から嬉しい。裕而さんにもおめでとうと伝えたい」と話していました。
古関裕而氏の長男の正裕さんは野球殿堂入りが伝えられる式典で「父は運動神経がなく、スポーツはからっきしだめだったので、びっくりしたと思う。応援歌やマーチなどスポーツ関係の曲を作ったのはプレーや応援する皆さんにエールを送る気持ちだったと思う。殿堂入りをサポートしてくれた福島市の皆さんにも感謝したい」と述べました。
そして式典後の記者会見では、「栄冠は君に輝く」の作曲について、「無人の甲子園球場に立ち選手の姿を思い浮かべると、自然とメロディーがわいてきたと言っていた。汗を流して戦う若者を励ましたいという気持ちだったと思う」と話していました。
そのうえで「父が作った曲は気持ちを奮い立たせる、記憶に残るメロディーなんだと思っている。大勢の人を励ます歌として今も喜んでもらっていると、父には伝えたい」と話していました。
古関裕而氏は、明治42年に福島市で生まれました。
幼少期に父親の影響でレコードで音楽を聞いたことをきっかけに音楽に興味を持ち、10歳の頃から作曲を始めました。
昭和5年にレコード会社と専属契約を結んで作曲家としてスタートすると、歌謡曲やラジオドラマ、それに学校の校歌などさまざまな曲を制作しました。
中でもスポーツ分野では、夏の全国高校野球の大会歌「栄冠は君に輝く」や早稲田大学野球部の応援歌「紺碧の空」、それに阪神の「六甲おろし」や巨人の「闘魂こめて」など数多くの野球関連の曲を生み出しました。
さらに、1964年の東京オリンピックの選手入場行進曲「オリンピック・マーチ」も手がけました。
平成元年に80歳で生涯を終えるまでにおよそ5000の曲を生み出した日本を代表する作曲家の1人で、3年前にはNHKの朝の連続テレビ小説「エール」の主人公のモデルとなり、注目を集めました。
福島市の古関裕而記念館は、地元出身の作曲家、古関裕而の功績を伝える施設です。
昭和63年に開館し、作った曲の楽譜やレコード、写真など600点余りが展示され、生い立ちや功績が紹介されています。
中には、夏の全国高校野球の大会歌「栄冠は君に輝く」をはじめ、プロ野球や大学野球などの応援歌の自筆の楽譜やレコードなどがあり、野球界を盛り上げてきた足跡を知ることができます。
村上敏通館長は、古関裕而の野球殿堂入りを受けて「涙が出るくらい嬉しい気持ちだ。これからも古関先生が作曲した曲を多くの人に伝えていきたいし、野球全体の活性化につながればと思う」と話していました。