千葉県初代知事「県令」の子育て施策紹介する企画展 県文書館

千葉県が誕生してから15日で150年となるのにあわせて、現在の知事にあたる初代の「県令」を務めた柴原和が推進した子育て施策を紹介する企画展が県の文書館で開かれています。

千葉県は、150年前の明治6年6月15日に当時の木更津県と印旛県が合併して誕生しました。
千葉県文書館では、初代の県令を務めた柴原和がこだわって取り組んだ子育て施策を紹介する企画展が開かれています。
当時、貧しい家ではいわゆる「口減らし」などのために、堕胎や生まれたばかりの子どもを押さえつけて殺害する「間引き」の習慣があり、人口が減ると田畑が荒れ、経済の停滞にもつながるとして、これらをなくして子どもを大切に育てるため、柴原は、妊娠届や出生届などの提出を義務づけました。
「育子告諭」の展示では、「赤子を救わんとす」などの記載からそうした柴原の強い思いを伺い知ることができます。
柴原が子育て施策を進めたことで、出生児数が大幅に増加したという記録も残っています。
千葉県史の明治編によりますと、旧木更津県と旧印旛県の出生児数をあわせると明治5年は1万9000人弱でしたが、柴原が県令になったあとの明治6年は2万9000人余りと1.5倍以上に増えました。
一方、柴原は県内の富裕層などから集めた出資金を貧困世帯に出産手当てや子育ての支援金として支給する施策を進めましたが、滞納が多く目標の6割しか集まらなかったり、県令を退任したあとにこの育児施策が廃止されたりするなど、順調には進まなかった面もあったということです。
70代の女性は「目指したことが広く伝わらなかったのは残念だけれども、子育て支援という発想がその頃にあったというのはすばらしい」と話していました。
千葉県文書館県史・古文書課の児玉憲治さんは「柴原の功績として、子育て支援が知られていますが、実際にはなかなかうまくいかなかった部分もありました。柴原の政策の良いところ、悪いところを含めて振り返ることで、現代の課題を考える素材にしていただければと思います」と話していました。
この企画展は、8月12日まで開かれています。

【柴原のその他業績】
柴原は、当時の兵庫県令、滋賀県令と並び「本邦三県令」のひとりに数えられたほどで、子育て施策以外にも開明的な取り組みを進めました。
全国的に地方議会が開設される前に、地方民会と呼ばれる自主的な議会を運営し、千葉県が成立するとただちに「千葉県議事則」を定めました。
地租改正事業では率先して地価の決定や測量に取り組んだほか、地租の税率を引き下げるよう政府の大久保利通あてに上申したということです。
また、小学校の設立や就学の奨励を盛んに行い、明治7年の千葉県の公立小学校の数は805校で全国で最も多く、女子教育にも深い関心を持ち、明治10年に千葉女子師範学校を設置したということです。
このほか、現在の千葉大学医学部のルーツとなる共立病院の設立に向けての呼びかけ役も務めたとされています。

初代県令の柴原和について熊谷知事は15日の記者会見で「地方民会を先駆的に設置したり子育て支援を実施したり、さまざまな取り組みを行った県令で、そうした積み重ねがあって今に至るということについて、この機会に県民のみなさまに思いをはせていただくきっかけになればと考えます」と話しました。
そのうえで子育て政策について、「置かれている時代環境によって優先順位は常に変わっていくものの、子育て政策では継続が大事だと思います。しっかりとした財源や中長期的な見通しのもとで真に少子化対策に資する政策、さらには当事者世代の方々に希望を感じてもらえるようなメッセージも含めた政策を構築していく必要がある」と話していました。