戦地に持って行った日章旗 家族のもとへ里帰り 市川

太平洋戦争で日本兵が戦地に持って行った日章旗がその後、アメリカで発見され、終戦から77年を経て16日、千葉県市川市の家族のもとに返還されました。

返還されたのは、市川市出身で、船舶工兵としてニューギニアなどで戦い、おととし98歳で亡くなった松丸泰介さんの日章旗です。
この旗は、29年前に亡くなったアメリカ軍の元海兵隊員、オリバー・ブッシーさんの息子でマサチューセッツ州に住むビル・ブッシーさん(75)が保管していたもので、遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」を通して市川市役所に届けられていました。
16日は泰介さんの息子の裕一さん(71)らが田中甲市長から旗を受け取りました。
旗は縦66センチ、横83センチで、破れたり色がにじんだりしていますが、勝利を祈ることばや泰介さんの妻など家族や地域の人とみられる名前が寄せ書きされています。
返還式では、「この旗を家族のもとへ戻せることを大変うれしく思います」というビルさんからのメッセージも紹介されました。
裕一さんは「父の苦労のあとが伺える旗で、アメリカから戻ってきて本当によかったです。より多くの人の目に触れ平和の大切さを考える機会にしてもらうため市に寄贈したい」と話していました。

今回返還された旗は、太平洋戦争中、アメリカ軍の海兵隊員としてガダルカナル島やパラオに赴いたオリバー・ブッシーさんが長く保管していたものでした。
オリバーさんの息子、ビルさん(75)によりますと、オリバーさんが1993年8月に亡くなったあと10年以上たって家を売ることになった際、クローゼットから軍服や勲章などの記念品とともに箱の中に入っているのを見つけたということです。
今回、オンラインで取材に応じたビルさんは、旗を見つけたときのことを「ワックス紙で包まれていて、ガーゼのように薄く、すぐに壊れそうでした。何度も広げたら壊れてしまうと思い、一度だけ開きました」と振り返り、「父がこの旗を持っていたことすら私は知らなかったんです。太平洋戦争については決して多くを語らない人でした。ただ、少なくとも捨てなかったということは、敬意を持っていたのではないでしょうか」と話していました。
ビルさんは、友人に相談したり自分で調べたりするなかで、日章旗など遺留品の返還に取り組むNPO「OBONソサエティ」のことを知り、団体を通じて旗を返還することになりました。
ビルさんは「松丸さんも父も戦争を生き抜き、それぞれ家庭を築くことができました。本当によかったです」と話していました。

松丸泰介さんの息子の裕一さんによりますと、泰介さんは大正10年生まれで、宮城県の石巻市から南太平洋のニューギニアなどに向けて出征し、船舶工兵として戦ったと聞いているということです。
泰介さんはおととし98歳で亡くなり、裕一さんは「前向きで地域のためにいろいろやる人でした。戦争については、戦うというよりも生きるために食糧を探すのが日常だったと聞いたことがある。あとは、足をやられたら置いていかれるからダメだと話していた」と振り返っていました。
16日返還された旗は、破れや色あせ、インクのにじみがあり、かなり傷んだ状態ですが、「松丸泰介君」と大きく書かれた周りには、泰介さんの妻、百合子さんなど50人以上の名前があります。
返還式のあと裕一さんは「戦争についてほとんど語らなかった父ですが、この旗を見てどんなに悲惨な戦争だったんだろう、語ることができなかったのではないかと思いました。日の丸の赤の中に血がにじむ思いがあると分かってくれて、大事にしまってくれたのだろう。ありがたい気持ちでいっぱいです」と話していました。