「雪中行軍遭難事件」遭難時の天気図を再現 米国のデータ活用

青森県の八甲田山系で旧日本陸軍の部隊が訓練中に遭難して199人が死亡した「雪中行軍遭難事件」が起きた当時の詳細な気象状況を、このほど名古屋市の気象予報士がNOAA=アメリカ海洋大気局のデータを活用し天気図に再現しました。

日露戦争を目前にした明治35年1月、青森市に駐屯していた旧日本陸軍の歩兵連隊が寒冷地での進軍を想定して八甲田山系で行っていた行軍訓練中に遭難し、199人が死亡しました。

当時の気象状況については、おおまかな天気図しか残されていませんが、このほど名古屋市の気象予報士、大矢康裕さんが詳細な天気図に再現しました。

活用したのはNOAA=アメリカ海洋大気局が1800年代まで遡って解析しているデータで、過去、限られた地点でしか観測されていなかった気温や気圧などの記録をスーパーコンピューターを使ったシミュレーションで観測地点を広げる形に推計して詳細な情報を公開しています。

このデータをもとに大矢さんが再現した天気図によりますと、雪中行軍の初日の1月23日午前9時には、三陸沖に高気圧が発生した影響で冬型の気圧配置が緩み、青森県を含む広い範囲で、一時的に天候が穏やかになる「疑似好天」になっていたことがわかります。

しかし、その6時間後の午後3時には、高気圧が消え、関東沖に低気圧が発生した影響で、青森県周辺も等圧線の間隔が狭くなり天候が急激に悪化します。

さらに、2日目の24日午前9時の天気図をみると青森県周辺の等圧線の間隔がさらに狭くなり、冬型の気圧配置が強まっていることがわかります。

当時は降雪も激しかったことから現場周辺は猛吹雪となっていたとみられます。

こうした天気が急変する状況下で歩兵連隊は遭難しその後の悲劇につながっていきます。

天気図を再現した気象予報士の大矢康裕さんは「『疑似好天』とみられる状況は当時の報告からも知られてはいたが、実際に発生していたことやその要因をデータをもとに天気図にして明らかにできたことが、今回の大きな意義だと思う」としています。

その上で、「過去の遭難事故の背景にある天候の急変について、実際にどんなことが起きて、判断の誤りのポイントは何だったのかといったことを明らかにすることで、登山する人たちには同じような事態に直面したときにどうするか考えてもらい役立ててほしい」と話していました。