元青森県知事 木村守男さん死去 県内から悼む声

木村守男氏が亡くなったことを受け、出身地の藤崎町の人たちからは「残念だ」などと死を悼む声が聞かれました。

70歳の男性は「決断も早いし大きな事業や壮大な計画を立てていたのでいい政治家だったと思う。町民にとっては誇りだったし非常に残念な人を亡くしたと感じる」と話していました。

また64歳の女性は「頼りがいのある知事で、県民の話を何でも聞いてくれる気軽に話せる知事という印象。亡くなったと聞いて本当にびっくりしたし寂しいです」と話していました。

藤崎町出身の木村守男氏は、29歳で県議会議員選挙で初当選し、あわせて3期務めました。

その後、衆議院選挙に4回当選し建設政務次官や農林水産政務次官などを歴任しました。

平成7年には、57歳で県知事選挙に立候補。

「輝くあおもり新時代」をスローガンに、若さや行動力、さらに県政の変革などを訴えて、5期目を目指した現職を破り初当選を果たしました。

知事就任後は、青森、秋田、岩手の北東北3県で連携を深めることの重要性などを訴え、平成9年には十和田湖で第1回目の北東北知事サミットを開催し、観光を盛り上げていくことなどを確認しました。

また、平成10年には、国の原子力政策をめぐり、高レベル放射性廃棄物を載せた輸送船の六ヶ所村のむつ小川原港への入港を認めず、当時の橋本総理大臣と会談しました。

高い人気を誇った木村氏は、再選を目指して臨んだ平成11年の知事選挙で、42万3086票を獲得。
これは、今でも過去最多の得票です。

2期目の平成14年には、東北新幹線の岩手県の盛岡駅と青森県の八戸駅の間が開業し、首都圏からの移動時間が大幅に短縮され、「長年の悲願だった」と喜びを語りました。

また、「文化観光立県」や「スポーツ立県」など、さまざまな政策を展開しました。

さらに、国政選挙では、地盤を引き継いだ長男で木村太郎氏が衆議院議員を務め、太郎氏がなくなったあとは、次男の次郎氏が地盤を引き継ぎました。

一方で、3期目の当選直後に、週刊誌に女性問題が掲載され、「県政の停滞は許されない」として、知事を辞職。
次の知事選挙には立候補しませんでした。

後任の知事を務めた三村知事は27日朝、報道各社の取材に応じ「2年ほど前に直接会い、大変に歓迎してくれて『しっかりとやれ』と激励してもらったところだったので、本当に突然だなという思いだ。県政だけでなく国政でも大いに発言をして『木村青森ここにあり』といった、非常にスケールの大きな政治家だった」と話していました。

藤崎町の平田博幸町長は「亡くなったと聞いて、すぐにお悔やみにいった。安らかな顔をしていて、もうやり残したことがないような雰囲気だったのでこれまでの苦労に感謝を伝えた」と話していました。
平田町長は46年前の1977年に木村さんが開いた集会に参加したことが政治活動をするきっかけの1つになったということで「地元を思う情熱がひしひしと伝わってきた。守男さんと出会っていなかったら町長になっていないと思う。自分にとっては人生の師であり政治の師だ」と話していました。

木村守男さんは、平成11年に県民のスポーツへの意識や関心を高めスポーツに強い青森県を実現しようと「スポーツ立県宣言」を行いました。

そのよくとしには弘前市に県武道館が開館し、青森県のスポーツ振興の拠点として活用されました。

平成13年には相撲の世界選手権が、初めて東京 両国の国技館以外の会場で開催されたほか、中学生のバドミントンの全国大会や全国高校ロボット競技大会などさまざまなイベントが行われました。

「宣言」が行われた当時、県教育委員会の教育次長として携わっていた県武道館の春藤英徳館長は「ある日突然、知事から私の執務室に電話があり『スポーツで県民を豊かにしよう、健康な子どもたちを作ろう』と宣言の提案がされた。当時はグラウンドゴルフなど生涯スポーツが普及してきた時代でもあり、宣言を通じて、地域にスポーツを根づかせるという考えに敬服しました」と振り返っていました。
そのうえで「今ではスポーツを通して健康を作る機運がすごくあるし3年後には国民スポーツ大会が県内で開かれる。宣言によってスポーツが盛んな青森県になってきたのではないか」と話していました。

次男で衆議院議員の木村次郎氏は27日夕方、弘前市内で報道各社の取材に応じ「生前、様々な方々にご恩をいただいた。すべての県民のみなさまに感謝を申し上げたい」と述べました。

そのうえで「安らかに眠っているような顔だったので、これまで激しい政治家人生お疲れ様でしたという思いだ」と話していました。

また、先月、守男さんと面会した時には、話すこともままならないなかで「国会」とはっきり話したことを明らかにしたうえで「強い信念と義理と人情にあふれた大衆政治家であった父を誇りに思っている」と話していました。

大島理森 元衆議院議長はコメントを発表し「政治に対する情熱、郷土への熱い思いが大事であることを教えていただいた。木村政治の根幹は、青森県に対する限りなき情熱とそのために戦う士であったと思います。改めてご指導にお礼申し上げると共に深甚なる哀悼の意を表します」としています。