旧優生保護法は憲法違反 国に賠償命じる判決 最高裁

旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国を訴えた裁判の判決で、最高裁判所大法廷は、旧優生保護法は憲法違反だとする初めての判断を示しました。
そのうえで、「国は長期間にわたり障害がある人などを差別し、重大な犠牲を求める施策を実施してきた。責任は極めて重大だ」と指摘し、国に賠償を命じる判決が確定しました。

旧優生保護法のもとで障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めている裁判のうち仙台や東京などで起こされた5つの裁判の判決が3日、最高裁判所大法廷で言い渡されました。
戸倉三郎 裁判長は「旧優生保護法の立法目的は当時の社会状況を考えても正当とはいえない。生殖能力の喪失という重大な犠牲を求めるもので個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反し、憲法13条に違反する」と指摘しました。
また、障害のある人などに対する差別的な取り扱いで、法の下の平等を定めた憲法14条にも違反するとして、「旧優生保護法は憲法違反だ」とする初めての判断を示しました。
そのうえで「国は長期間にわたり障害がある人などを差別し、重大な犠牲を求める施策を実施してきた。責任は極めて重大だ」として原告側の訴えを認め、5件の裁判のうち4件で国に賠償を命じる判決が確定しました。
宮城県の原告の裁判については、訴えを退けた2審判決を取り消し、賠償額などを決めるため仙台高等裁判所で審理をやり直すよう命じました。
不法行為から20年が過ぎると賠償を求める権利がなくなるという「除斥期間」については、「この裁判で、請求権が消滅したとして国が損害賠償責任を免れることは、著しく正義・公平の理念に反し容認できない」として、認めませんでした。
判決は裁判官15人全員一致の結論で、法律の規定を最高裁が憲法違反と判断したのは戦後13例目です。
1996年まで48年間続いた旧優生保護法は精神障害や知的障害などを理由にした不妊手術を認め、手術を受けた人はおよそ2万5000人に上るとされています。
判決を受けて国は被害者への補償など、対応についての議論を迫られることになります。

【原告“長かった”】
判決が言い渡されたあと、裁判所の前では、原告や弁護団が集まった支援者たちに拍手で迎えられ、「勝訴」や「全ての被害者の救済を」などと書いた紙を一斉に掲げていました。
支援者たちは、「おめでとう」とか「よかったね」などと声を上げたりして喜びを分かち合っていました。
宮城県の原告で、全国に先駆けて被害を訴え続け、一連の裁判のきっかけとなった飯塚淳子さん(仮名・70代)は「ここまで長かったですが、いい判決でよかったです。ただ、人生を返してほしいという思いは変わりません。手術を受けたほかの人にも名乗り出てもらって、国はすべての被害者に謝罪と補償をしてほしいです」と話していました。
また、神戸市に住む、先天性の脳性まひが原因で手足に障害がある原告の鈴木由美さん(68)は「長かったですが、このときを待っていました。障害者差別のない世の中への第一歩になったと思います」と話していました。

【大阪の原告夫婦“うれしく思う”】
大阪の原告でともに聴覚障害がある高齢の夫婦が、判決を受けて大阪府内で会見を開きました。
70代の妻は、50年前、帝王切開で出産したときに何も知らされずに不妊手術を受けさせられました。
子どもは生まれてまもなく亡くなりました。
夫婦は旧優生保護法の存在を知らないまま、長年、苦しみ続けてきましたが、同じように手術を強制された人たちが国を相手に裁判を起こしたことをきっかけに、5年前に訴えを起こしました。
1審は2人の訴えを退けたものの、2審の大阪高等裁判所が国に賠償を命じる初めての判決を言い渡しました。
3日の判決について、妻は手話通訳者を通じて「不妊手術に対してはずっとおかしいことだと思っていました。手術を受けたことは苦しかったですが、勝つことができてとてもうれしいです。国には苦しい思いをしていることを理解してもらいたいです。このような人権侵害が二度と起こらないように、障害がある人もない人も同じように子どもを産んで育てられる社会になってほしいです」と話しました。
また、80代の夫は「私たちは手術を受けたということを障害者への差別だと訴え続けてきました。それが認められてとてもうれしく思います。今回の結果や私たちの行動が、まだ声をあげることができていない人たちに届いてほしいと思います」と話しています。

【明石 原告の小林寳二さん“思いすべて伝えた”】
兵庫県明石市に住み、聴覚障害がある原告の小林寳二さん(92)は同じく聴覚障害があり、不妊手術を受けさせられた妻の喜美子さんとともに裁判を闘ってきましたが、喜美子さんはおととし(2022年)、2審の大阪高等裁判所の判決を前に、病気のため89歳で亡くなりました。
1960年に結婚し、まもなく妊娠が分かりましたが、喜美子さんは母親に連れて行かれた病院で、詳しい説明も無いまま中絶手術を受けさせられたということです。
その後も子どもができないまま過ごしていましたが、6年前(2018年)、「全日本ろうあ連盟」による調査で、中絶手術を受けた時に不妊手術もあわせて行われていたことが分かったといいます。
小林さんは判決後の会見で、手話通訳を介して、「歴史的な判断が下されたと思います。この長い闘いで私は思っていることをすべて伝えました。皆さんの応援とご支援のおかげです。本当にありがとうございました」と述べました。

【神戸 原告の鈴木由美さん“判決を第一歩に”】
神戸市に住む、先天性の脳性まひが原因で手足に障害がある原告の鈴木由美さん(68)は、12歳のころ(1968年)に突然、母親に病院に連れて行かれ、具体的な説明もないまま不妊手術を受けさせられたといいます。
42歳のとき、子どもを産めない体であることを伝えたうえで、ボランティアで介助をしてくれていた男性と結婚しましたが、5年後に離婚しました。
離婚の際、男性からは「子どもがいたら違ったかもしれない」と言われ、深く傷ついたといいます。
2018年に国に賠償を求める裁判が全国で初めて起こされたことを知ったのをきっかけに、鈴木さんもよくとし(2019年)に神戸地方裁判所に訴えを起こしました。
鈴木さんは判決のあとに開かれた原告と弁護団の会見で、「このような判決をもらえてよかったです。国が悪いと裁判所が認めてくれたが、私と同じように苦しんでいる人がまだいます。この判決を第一歩に、障害者も当たり前に暮らせる世界にしていきたい」と話していました。

【林官房長官“判決に基づく賠償を速やかに行う”】
林官房長官は3日午後の記者会見で「特定の疾病や障害を理由に生殖を不能にする手術を強いられた方々に対しては、内閣総理大臣と厚生労働大臣からそれぞれ真摯(しんし)な反省と心からのおわびを表明している。政府のこうした立場は今も変わりがない」と述べました。
そのうえで「きょう確定した判決に基づく賠償を速やかに行うとともに、今後、関係省庁で判決内容を精査のうえ、原告から要請されている岸田総理大臣との面会を含め、適切に対応を検討していく。旧優生保護法のもとで不妊手術を受けた人たちを対象にした一時金については、引き続き周知・広報に努めて、着実な支給に全力を尽くしていく」と述べました。

【日弁連が相談会を開催】
旧優生保護法のもとで不妊手術を受けた人の中には、さまざまな事情でいまも声を上げられない人が多くいるとみられ、被害者側に情報をどのように伝えていくかが課題となっています。
こうした状況を受け、日弁連=日本弁護士連合会などは今月(7月)16日に無料の電話相談会を開きます。
相談会の対象は、旧優生保護法による手術を受けた可能性がある人やその家族、知人、またはそうした情報を持っている福祉関係者や医療関係者などです。
全国の弁護士が無料で相談に応じ、一時金の請求方法などさまざまな悩みについて、対応にあたるということです。
手術を受けた証拠や確証がない人も相談できます。
相談会は、今月16日の午前10時から午後4時までで、電話番号は、0570−07−0016です。
電話での相談が難しい人を対象に、FAXでの相談も同じ時間帯に受け付けます。
FAX番号は、022−224−3530です。