元大阪市長の関淳一氏死去

大阪市長を平成15年から4年間務め、職員厚遇問題などの改革に取り組んだ関淳一氏が亡くなりました。
88歳でした。

関氏は、戦前に大阪のメインストリート・御堂筋を計画した関一 第7代大阪市長の孫で、市立病院の副院長などを経て大阪市の助役を8年間務めた後、平成15年の大阪市長選挙で初当選し、4年間、務めました。
任期中は、▼残業をしていないのに手当を支給する「カラ残業」や、▼職員などの年金保険料として互助会に市の補助金を支給していた「ヤミ年金」、それに▼係長以下の職員に「制服」としてスーツを支給していたことなど職員厚遇問題が次々と発覚し、外部の有識者を重用するなどして、職員の削減や事業の民営化を柱とした改革に取り組みました。
平成17年には、みずからが助役時代に問題を見過ごしたことなどへの責任を追及する声があがるなか、いったん辞職して出直し選挙で再選を果たし、さらに行財政改革を推し進めました。
複数の関係者によりますと、関氏は、9日、亡くなったということです。
88歳でした。