大阪 堺 江戸時代の鉄砲鍛冶の屋敷 博物館としてオープン

鉄砲の一大生産地だった大阪・堺市で、江戸時代から残る鉄砲鍛冶の作業場を兼ねた屋敷が、3日、オープンしました。

堺市堺区にある「井上関右衛門家住宅」は、全国で唯一、江戸時代から残されている鉄砲鍛冶の作業場を兼ねた屋敷で、調査の結果、2万点を超える古文書などが見つかりました。
市が4年前から進めてきた工事などが終わったことから、3日は、オープンを記念したセレモニーが開かれ、屋敷の調査にあたった関西大学の藪田貫名誉教授が「井上家が代々にわたり類いまれなる屋敷と、古文書を守り抜き、現代につなげてくれたことに感謝します」などとあいさつしました。
館内には、商談をするための「みせの間」や、銃身をつくる「鍛冶場」が再現されていて、井上家当主が手掛けた江戸時代後期の火縄銃の実物や屋敷で発見された古文書などが展示されています。
このうち、各地の武家と堺の鉄砲鍛冶の取引先を記録した帳簿には、井上家の名前が最も多く記され、当時の活況ぶりがうかがえます。
このほか、鍛冶職人の体験ができるコーナーも設けられています。
堺市文化財課の山田悠太朗学芸員は「展示を見ていただければ当時の鉄砲鍛冶のように熱い気持ちになれると思います」と話していました。
堺市の「鉄炮鍛冶屋敷」は、午前10時から午後5時までオープンしています。

【井上家とは】
堺市によりますと、「井上関右衛門家住宅」は江戸時代の町家で、井上家の祖先はいまの愛媛県大洲市などがある大洲藩を治めた加藤家に仕え、1610年ごろに兄弟のうち弟が堺に移り住んで鉄砲鍛冶になったされています。
井上家は、江戸時代後期には堺でもトップクラスの火縄銃の生産量をほこり、明治時代まで生産を続けていたということです。
屋敷からは、2014年に2万点以上の古文書が見つかり、堺市と関西大学が4年がかりで共同調査を進めてきました。
江戸時代は徳川幕府の方針などから火縄銃の生産は縮小していったと考えられてきましたが、調査の結果、江戸時代後期にも全国の大名などから火縄銃の注文を数多く受け活況だったことが分かり、市と関西大学は通説を覆す発見だとする報告書をまとめています。