阪神・淡路大震災29年 「ともに」語り継ぎ 能登に寄り添う

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から1月17日で29年です。
神戸市など大きな被害を受けた地域では犠牲者を追悼する行事が夜も続いています。

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では建物の倒壊や火災が相次ぎ、避難生活の長期化で体調を崩すなどして亡くなる「災害関連死」も含めて6434人が亡くなりました。
神戸市中央区の公園、「東遊園地」では犠牲者を追悼する灯ろうが「1.17」や「ともに」という文字の形に並べられ、地震が起きた午前5時46分には訪れた人たちが黙とうをささげました。
「ともに」という文字には、▽世代を超えて阪神・淡路大震災を語り継いでいこうという思いや、▽元日に発生した能登半島地震の被災者などに寄り添い、助け合おうという思いが込められています。
ことしは能登半島地震が起きた午後4時10分にも黙とうが行われました。
17日は、ほかにも兵庫県内の各地で防災訓練や語り部による講演などが行われています。
このうち周辺が甚大な被害を受けた神戸市須磨区の鷹取中学校では、中学生が震災当時の教員などから聞き取った内容を、さらに若い世代にあたる小学生に語り継ぐ活動が行われました。
阪神・淡路大震災の発生から29年となり記憶の風化が懸念される中、過去の教訓をいまの被災地の支援にどう生かすかが課題となっています。

【神戸 中学生が小学生に震災の教訓語り継ぐ】
29年前の阪神・淡路大震災を直接体験していない中学生が、さらに若い世代の小学生に震災の教訓を語り継ぐ活動が17日、神戸市で行われました。
神戸市須磨区にある鷹取中学校は、阪神・淡路大震災で周辺が甚大な被害を受けました。
この学校では、今年度(令和5年度)、震災について学んだ生徒たちが、小学生たちに語り継ぐ活動を初めて実施することになり、17日は、震災当時、鷹取中学校に勤務していた教員から話を聞き取るなど、事前に準備を進めてきた165人の3年生が、近くの2つの小学校を訪れました。
このうち若宮小学校の6年1組の教室では、4人の生徒が震災当時の鷹取中学校の写真をスクリーンに映して、2000人を超える人が協力しながら避難生活を送ったことなどを説明しました。
そして、いざという時に備えて避難場所を確認したり、家族とはぐれた場合に集合する場所を事前に決めたりするなど「日頃から災害を自分ごととして捉えてほしい」と呼びかけました。
話を聞いた児童は「中学生の話を聞いて地震や津波の怖さを改めて感じました」と話していました。
また、震災の教訓を伝えた女子生徒は「震災を経験していない私たちが伝えていいのかという不安はありましたが、経験を風化させることなく命が助かるようにするために、きょうは話ができてよかった」と話していました。

【能登半島地震の発生時刻に神戸で黙とう】
阪神・淡路大震災の追悼のつどいが行われている神戸市の公園では、ことしの元日に起きた能登半島地震の発生時刻にあわせて黙とうが行われました。
阪神・淡路大震災の発生から29年となった17日、神戸市中央区の公園、「東遊園地」では追悼のつどいが行われました。
会場では、能登半島地震が発生した午後4時10分にあわせて黙とうが呼びかけられ、訪れた人たちが時報とともに静かに目を閉じて犠牲者を追悼するとともに被災地の復興を願いました。
会場では、灯籠が阪神・淡路大震災が起きた日付の「1.17」や、「ともに」という文字の形に並べられ、公募で選ばれた「ともに」という文字には、能登半島地震の被災者に寄り添い助け合おうという思いなどが込められています。
石川県輪島市から訪れた柴田剛さん(67)は、2007年の地震で自宅が壊れ、今回の能登半島地震で再び自宅が壊れて避難所で暮らしているということです。
ボランティアの人から神戸では震災の追悼のつどいが毎年行われていると聞き、その様子を確かめたいと車で10時間ほどかけて来たということです。
柴田さんは、「これから復興に向けて動いていくうえで、追悼のつどいが29年も続いているのはどうしてか、ということをこの目で確認し、戻った先で伝えられたらと思って来ました。灯籠に書かれた石川や能登へのメッセージを見てうれしくなりました。とにかく前を向いて復興のために何をすべきかを考え、いろいろなことに挑戦していきたいという気持ちになりました」と話していました。
柴田さんは車で輪島市に戻るため、17日夜、神戸をあとにするということです。

【神戸 長田区 かつて火災の商店街で募金 能登の被災地支援へ】
阪神・淡路大震災で火災による大きな被害を受けた神戸市長田区の商店街では、能登半島地震の被災地を支援するため募金活動が行われました。
神戸市長田区の「大正筋商店街」は、地震の直後、大規模な火災が起き、98あった店舗のほとんどが焼けて2人が亡くなりました。
商店街では17日午後5時から犠牲者の追悼行事が行われ、この中で能登半島地震の被災地を支援するため地元の人たちが募金活動を行い、参加者や買い物客に協力を呼びかけました。
集まった資金は兵庫県を通じて被災地のために役立てられるということです。
募金に協力した神戸市長田区の40代の男性は、「元日に北陸で地震があり、被災地の人たちは阪神・淡路大震災の時と同じ気持ちだと想像しました。震災の時に協力してもらったように、少しでも力になれたらと思います」と話していました。
45年前から商店街で茶の販売店を営む伊東正和さんは、「前を向いて29年頑張ってきましたが、能登の地震の状況を見て、かつての長田と重なり、とてもつらいです。火災が起きた輪島市などのため何ができるかを考え続けます」と話していました。

【能登半島地震の被災者支援へ 学生が募金】
阪神・淡路大震災から29年の17日、神戸市中心部の三宮では、学生たちが今月(1月)発生した能登半島地震で被災した人たちを支援しようと、募金活動を行いました。
神戸市内の大学に通う学生たちは、JR三ノ宮駅前の街頭に立ち「29年前、兵庫県は全国からたくさんの支援をもらいました。今度は兵庫から被災地へお返ししましょう」などと支援を呼びかました。
通りかかった人たちは、次々に募金箱にお金を入れていました。
募金活動を呼びかけた大学4年生の石料巧士さんは「被災地に直接赴くことはできませんが、自分たちの集めたお金で少しでも被災者の方々に笑顔が戻ったらうれしいです」と話していました。

【神戸の街に向かって僧侶が読経】
神戸市内を一望できる神戸市中央区の諏訪山公園では、地元に住む寺の僧侶が神戸の街に向かってお経を読み上げていました。
平井和広さん(67)は、29年前の阪神・淡路大震災の発生当時、震源地に近い淡路島にある病院に事務職員として勤務していて、亡くなった人やけが人が多く運ばれてきたことに心を痛めていました。
平井さんは、発災から2か月後にボランティア活動を始め、被災した人たちにもっと寄り添えることがあるのではないかと6年前に寺の僧侶になりました。
これまで、東日本大震災や熊本地震などの被災地などでお経を読み上げているほか、被災地の現状を神戸の人たちにも語り続けているということです。
平井さんは「本当に神戸が焼けるのを見て切なくて、自分に何かできないかということからお経を読み始めました。心の傷というのは癒えることはありません。心に傷を負われた方の気持ちが少しでも和らげばという思いから、こういう活動を続けさせていただきたいと思っています。能登半島地震については、自分たちが被災した経験がよみがえりました。この寒い中で被災されている方たちに少しでも近くで寄り添いたいと思います」と話していました。

【息子亡くした両親 4年ぶり香川から神戸に】
阪神・淡路大震災で当時大学生だった息子を亡くした香川県に住む両親が、新型コロナウイルスの行動制限がなくなったことから17日、4年ぶりに神戸を訪れ、祈りをささげました。
香川県小豆島に住む三枝秀樹さんと妻の宣子さんの長男、秀彰さん(当時20)は神戸の大学に通うために暮らしていたアパートが震災で全壊し、亡くなりました。
三枝さんは、毎年1月17日には秀彰さんが住んでいた神戸市東灘区のアパートの跡地を訪れていましたが、新型コロナの感染拡大で2020年を最後に追悼を見送っていました。
ことしは、行動制限がなくなったことから4年ぶりに神戸を訪れ、アパートの跡地で静かに手を合わせていました。
三枝秀樹さんは「新型コロナで祈りが途切れたので、謝るっていうわけではないですが、やっと来られました。本人はいませんが、これからは毎年、来続けるつもりです」と話していました。
宣子さんは「息子をあのアパートに住まわせたという責任は今も消えません。息子が生きていればことし5月には50歳になっていました。どうなっていたのか想像もつかないです」と話していました。

【追悼のつどいに約3万6000人(17日午後5時)】
神戸市によりますと、中央区の公園「東遊園地」で行われている追悼のつどいを訪れた人は、17日午後5時の時点でおよそ3万6000人で、去年より1000人ほど多くなりました。