奈良 高松塚古墳 漆塗りのひつぎ 最新技術を使い再現

極彩色の壁画で知られる奈良県明日香村の高松塚古墳に納められていたとされる漆塗りのひつぎが、3Dプリンターなどの最新技術を使って再現されました。

およそ1300年前の飛鳥時代に造られた高松塚古墳では、「飛鳥美人」で知られる壁画とともに木製のひつぎの板や破片などが見つかっていて、奈良県立橿原考古学研究所などがひつぎを再現するプロジェクトを去年(令和4年)から進めていました。
8日は、橿原市にある研究所で完成したひつぎが報道関係者に公開されました。
ひつぎは長さおよそ2メートル、幅およそ60センチ、ふたや台を含めた高さはおよそ70センチで、外側は黒い漆を5回塗り重ね、内側は「水銀朱」と呼ばれる赤い顔料で仕上げています。
見つかった木の板や破片の形や大きさ、それに、付着していた漆や顔料を分析し再現したということです。
また、ひつぎに取り付けられた金具は見つかった実物にゆがみがあったため、コンピューター上で補正して3Dプリンターで型を作り、鋳造したということです。
研究所の青柳正規 所長は、「ひつぎは日本の伝統的な形だが最先端の技術が使われていて、当時の死生観がうかがえる」と話しています。
再現されたひつぎは、12月9日から来年1月14日まで研究所の博物館で公開されます。

【高松塚古墳とは】
明日香村の高松塚古墳は、7世紀末から8世紀初めの飛鳥時代に造られたとみられる円形の古墳です。
昭和47年に行われた発掘調査で、▼「飛鳥美人」として知られる「女子群像」や▼方角の守り神の白虎(びゃっこ)や青龍(せいりゅう)などが描かれた極彩色の壁画が石室の中から見つかり、「世紀の発見」として注目を集めました。
この時の調査では壁画とともに、▼鏡やガラス製の玉などの副葬品や、▼大人の男性のものとみられる骨、そして、▼ひつぎに使われていた板や金具などの大量の部材も見つかりました。
古墳の形や壁画、石室内で見つかった遺物などから、埋葬された人物は誰だったのか、研究が続けられていて、▼天皇の息子や▼天皇に仕えた高官などの説があります。

【知見と最新技術で再現】
高松塚古墳のひつぎを再現するプロジェクトは、壁画が発見から50年の節目を迎えたことを記念する事業の一環で行われました。
取り組んだのは、▼奈良県立橿原考古学研究所と▼奈良と東京の文化財研究所、そして、▼東京芸術大学からなる研究グループで、メンバーの専門は考古学や文化財科学、美術工芸など多岐にわたります。
メンバーたちは、壁画とともに石室の中で、見つかった木材や金具など、数千点にのぼるひつぎに関連する遺物を徹底的に分析し、1つ1つの部材を再現しました。
このうち、ひつぎの側面に取り付けられた「すかし」のはいった装飾用の金具は、実物を詳細に調べると、表面がそり返るようにゆがんでいることがわかりました。
このため、金具を3次元で計測したデータに研究グループは「補正」を加え、コンピューター上に当時の姿を復元した図面を作成しました。
これをもとに3Dプリンターなどを使って鋳型をつくり、今回、取り付ける金具を作製したということです。
こうした技術は、ひつぎのふたの内側にとりつけられていた丸い金具の再現にも活用されました。
また、ひつぎそのものは、▼石室の中で見つかった実物の分析や▼傷んだ壁画を修復するために平成19年に行われた石室の解体などで得られた知見も盛り込んで再現されました。
石室の中では、▼ひつぎの「底」の部分のものとみられる黒い漆が塗られた板や▼片面に朱が塗られ、飾り金具を取り付ける穴があけられている板の破片などが見つかっています。
こうした実物を顕微鏡などで分析したところ、下地の上に5層にわたって黒漆が塗り重ねられていることなどがわかったことから、今回、その知見をもとに、専門家が漆や朱を塗ったということです。
さらに、▼石室の床の部分には、「箱」のようなものを置いていた痕跡が残っていたことや、▼東側の壁画についている「箱」のようなものがぶつかった傷の位置などから、ひつぎは直接、床に置いていたのではなく、「台」の上にのせられていたと判断しました。
「台」と接していたとみられる板からは、金ぱくも見つかっていることから、ひつぎを置いていた台は、金ぱくで装飾された可能性が高いということです。
こうして専門家たちが、およそ1年かけて、再現した今回のひつぎには、いったいどのような人物が、葬られていたのでしょうか。
ひつぎの再現にあたった東京芸術大学の宮廻正明 名誉教授は「最高の技術と最高の材料が使われていることから、非常に位の高い人かカリスマ性のある人物が葬られたのではないか」と話しています。