京アニ事件裁判 遺族“家族を一番ひきょうな手段で奪った”

「京都アニメーション」の放火殺人事件の裁判は、29日も刑の重さに関わる情状についての審理が行われ、アニメーターの夫を亡くした遺族は、「被告はかけがえのない家族を放火という、一番ひきょうな手段を使って一瞬で奪いました。厳しい結論を望んでいます」などと今の気持ちを訴えました。

青葉真司被告(45)は、4年前の2019年7月、京都市伏見区の「京都アニメーション」の第1スタジオでガソリンをまいて火をつけ、社員36人を死亡させ、32人に重軽傷を負わせたとして殺人や放火などの罪に問われています。
裁判は、今週から刑の重さに関わる情状についての審理が始まり、29日は遺族6人が法廷で意見を述べ、3人の意見陳述書が読み上げられました。
このうち、34歳のアニメーターの夫を亡くした妻は、「事件当時、娘は1歳4か月でまだしゃべり始めていませんでした。夫は『パパって呼ぶかな、お父さんがよいな』と楽しみにしていました」と振り返りました。
そして、「かけがえのない家族を放火という一番ひきょうな手段を使って一瞬で奪いました。当然厳しい結論を望んでいますが、被告にはせめて一人ひとりに大切に思い合う人がいたということを理解したうえで、判決を受け止めてほしい」と訴えました。
また、44歳の妻を亡くした夫は、「妻はただただみんなが元気になるように努力してきて、逆に殺されました。息子は寂しさに耐え文句も言わず、我慢して前向きに進んでいますが、それを見るのは親として本当につらいです」と話しました。
夫は最後に、「青葉さん」と呼びかけたうえで、「自分の罪に向き合って、心の底から本気で自分の意思で手を合わせて、反省してほしいと思います」と訴えました。
青葉被告はじっと遺族の方を見つめたり、時折、目をつむったりして話を聞いていました。
裁判は、11月30日も遺族が意見を述べることになっています。

【意見陳述の詳細 34歳の夫を亡くした妻は】
34歳の夫を亡くした妻は、意見陳述でまず、夫の仕事ぶりを振り返り、「自宅で作業することもありましたが、頭にタオルを巻いてのめりこみ、一心不乱に1枚の絵を仕上げている姿が非常にかっこよく、誇らしく思っていました。被告は京アニやその従業員が『光の階段を上っている』というような表現をしていましたが、ただ好きなだけで続けられる仕事ではありません。コツコツと努力を重ねて会社やファンに評価してもらう喜びの積み重ねが、夫を支えていたのだと思います」と話しました。
そのうえで、「夫がそのような努力を続けてこられたのは幼かった娘の存在も大きいと思います。当時1歳4か月だった娘はまだしゃべり始めていませんでした。夫は『パパと呼ぶかな、お父さんがよいな』と楽しみにしていました。この裁判を待っている間に、娘は保育園の年長になり、来年は小学校に入学する年齢になりました。いっぱいおしゃべりをし、自転車に乗ったり、絵を描くようにもなって、夫は娘とこういう時間を過ごしたかったんだろうなと感じています」と話しました。
そして、娘との会話を明かし、「娘には『お父さんは火事で亡くなった』と説明してますが、『殺された』とはまだ言えていません。最近は『お父さんは生きているの?どうだったの?』と知りたがります。友達のお父さんが保育園の送迎や運動会、発表会などの行事に来られていることには、うらやましさやさみしさを感じていると思います」と声を震わせながら話しました。
被告に対しては、「夫は、家族のことを一番に思い、私と娘にとってかけがえのない家族でしたが、被告は放火という一番ひきょうな手段を使って一瞬で奪ってしまいました。自分は火をつけるだけつけた後、逃げて生き延び、大勢の被害者を出しているということが本当にひきょうだと思います。被告は今も、自分が犯した罪に向き合わず、逃げていると思います。裁判で自分が書いた小説のことなどは長々と話すのに、聞かれたくないこと、言いたくないこと、都合の悪いことはぼそぼそと話す様子をみて小心者だと感じていますし、そのような被告を許すことは絶対にできません」と訴えました。
そして最後に、「被害者とその遺族、家族の存在と、自分がその人たちから何を奪ったのか感じてほしいとせつに願っています。夫の未来を奪い、幼い子どもから父親を奪ったのだということを心に刻んでもらいたいです。この裁判で被告には非常に厳しい結論が下されると思っていますし、私も当然厳しい結論を望んでいますが、せめて一人ひとりに大切に思い合う人がいたということを理解したうえで、判決を受け止めてほしいと思っています」と結びました。

【44歳の妻亡くした夫は】
44歳の妻を亡くした夫は、妻について、「子どもを寝かしつけてから深夜まで基本的なデッサンをするなど、ファンに感動を与えられるように作品づくりを頑張っていました。子どもには寝るまで子守歌を歌ってあげていて、亡くなってしまったいま、妻は自分の死より、アニメのことより、子どものことを心配していると思います。子どもを残していった『無念』、漢字2文字ですが、そんな軽いものではないと思います」と涙を流して話しました。
母親を失った息子については、「事件後、2年ほどは、母親との思い出をみずから閉ざしてしまっているような時期もありましたが、息子は頑張り、精神的な面も、現実的な面も乗り切りました。しかし、時がたてば癒える傷口もあるものの、逆に無限に広がる傷口もあるのではないかと親としては非常に心配しています。事件後に一番苦しんできたのは遺族となった何人もの、子どもたちではないかと感じています。まだ親から生きていくすべも得ていない子どもたちが、なぜここまで苦労を強いられなければならないのか、大きな疑問です」と話しました。
そして最後に、被告に対して、「人を殺した、治癒できないほどに傷を負わせたという現実はもう否定はできません。言い分もあると思いますが、残されて苦しんでいる方々がいます。その人たちのことをもう一度考えてください。残された方々が少しでも前向きに人生を送れるように自分の罪に向き合って、心の底から本気で自分の意思で手を合わせて、反省してほしいと思います」と呼びかけました。

【青葉被告は】
法廷で青葉被告は、意見陳述をしていた遺族から「青葉さん、こちらを向いてください」と呼びかけられると、すぐに顔を上げて、目を大きく開け正面に立つ遺族の方に向き直っていました。
このあと、「盗作されたと考えたあなたが京アニを許せなかったのと同様に、私は妻を奪われた。私たちがあなたを許すと思いますか」と問いかけられると、青葉被告は首を縦に振ってうなずいていました。

【30歳の娘亡くした母親は】
30歳の娘を亡くした母親は、「4年前に娘を失った日、2019年7月18日から続いている悲しみ、寂しさ、苦しさが一層深くなり、被告への憎しみや恨みがさらに強くなった思いです。見ず知らずの被告の身勝手な理由で、娘の命を未来を奪われたことは無念でなりません。どのようにしてももう娘は帰ってきません」と今の思いを話しました。
そのうえで、当時を振り返り、「事件を知らされてから娘の安否が確認できるまでの1週間は記憶がなく、どのように過ごしていたか覚えていません。娘に会えたその日のことは鮮明に覚えています。対面の時、ひつぎに横たわっていたのは確かに娘でした。顔だけしか見えませんでしたが、黒くすすのかかった顔は、口元が苦しさのあまりゆがんでいました。やっと会えた娘に『怖かったよね』、『苦しかったよね』と泣きながらたくさん話しかけました。代わってあげられなかった苦しさ悲しみで何度も『ごめんね。ごめんね』を繰り返していました」と話しました。
娘については、「幼少期より絵を描くことが大好きです。ほかのおもちゃで遊ぶよりも紙とクレヨン、鉛筆をおもちゃとして好んでいました。生前の30年間は友人も多く、困ってる人に優しくしたり常に相手のことを思いやる感覚を持ち合わせていました」と話しました。
娘の仕事については、「常に自分の目標を定めてそれに向かって絶えず努力し前進していました。アニメーターの道を選ぶ時も、絵を描くことは好きだけど美術の基礎を学んでいない自分にやれるのだろうか。ほかに道があるのだろうかと疑問を持ちながらもあらゆる道を探り、寄り道もしましたが、最終的に京都アニメーションさんにお世話になりました。入社の内定をいただいた時の喜びの笑顔、入社後には会社の戦力に少しでも近づけるように努力する姿、自分の画力に悩みながら描く練習を重ねる娘の姿は目に焼き付いています」と明かしました。
そして今の気持ちについて、「本当に自慢の娘でした。『娘を返して』と叫びたい気持ちでいっぱいです。娘の30年という短い人生の中で、娘と一緒に過ごし、泣いたり笑ったりけんかしたりした日々の思い出を大切にして、私はこの4年間を生きていました。これからもこの状況はずっと変わりません」と話しました。
最後に被告に対して、「事件後1年以上は娘が亡くなったことしか考えられず、被告に対する憎しみがわかない日々が続きましたが、時間がたつにつれて憎しみや恨みが深まってきました。それは被告がたとえ死刑になっても収まることはありません。私の心に深く刻まれて生涯消えることはありません。こんなに大きな犯罪を犯したのにもかかわらず被告に心よりの謝罪や反省を求めることは不可能ということは被告の公判での言動で理解できました。ならばせめて亡くなった36名の方々や今も苦しんでいるスタッフの方々が味わった恐怖、絶望、悲しみを同じように味わってほしく思います。その思いで強く極刑を望みます」と結びました。

【25歳の娘亡くした父親は】
25歳の娘を亡くした父親は、娘について「いつも明るい笑顔で朗らかで、自分をいかせることは何か迷うこともあっただろうと思いますが、そのようなことを乗り越えて励んでいける仕事に就けていたと思います。本当に熱心に取り組んでいたやさきに、人生を閉ざされたことはどんなにか無念だったかと思います。これから自分がする仕事にどれほどの夢を、希望を抱いていたのか、それを思うと悔しくてなりません」と話しました。
家族の近況については、「娘が旅立ったことで自分の生きる意味も大きく失われてしまったように感じます。私も妻も自分の命と引き換えに娘の命が救われてほしかったと思っています。娘はふだんは控えめですが、とても優しく気配りもできる子で、家族が落ち込んだり不安なときなどに、何気ないひと言をかけてくれ、それにどれだけ助けられ、励まされ、癒やされていたのかを実感しています。いまは残された家族が前向きに生きていくことが、娘へのせめてもの供養と思って過ごしています」と明かしました。
そのうえで、被告に対しては、「なんてことをしてくれたんだという気持ちです。なんの落ち度もなく、何の関わり合いもないのに、どうして娘がこんなことに巻き込まれなければならないのか、理解できません。亡くなった方々や被害に遭った方々のことを深く考えたときに、被告には命をもって罪を償ってほしいと思います。被告に謝罪や反省は求めません。反省で償える犯行ではないからです」と結びました。

【27歳の娘を亡くした父親は】
27歳の娘を亡くした父親は、意見陳述で今も悲しみが続く日常を話しました。
まず、「あの日もいつもと変わらない朝でした。『おはよう』、『いってきます』、『いってらっしゃい』と言葉を交わし出ていきました。その日から残された私たち家族3人は、悲しみと1人抜けた寂しい日々を過ごしています。ガソリンをまいて、放火されて、娘や多くの方が犠牲になったと聞いても、どうしても信じられませんでした。夜になると、『ただいまー』と言って帰ってくるのではと思ってしまいます。食事のときに、娘の座っていた場所がすっぽり空いて寂しいです。生活するなかで、あの子はこんなことを言っていた、こんなことやああいうことを言うよなと娘のことを思い出してしまいます。娘が関わったと思われる過去の京アニ作品を見るたびにスタッフの中に娘の名前を探してしまいます」と述べました。
そのうえで、「事件の10日程前には家族4人で北海道旅行をしました。小樽のグラス工房の制作体験で娘はコップをつくりましたが、そのコップが形見になるとは思ってもいませんでした。北海道は広く1度では回りきれないので、北海道の別の場所に行きたいと言っていたのに、もう2度と娘と行くことはできなくなってしまいました」と振り返りました。
そして、「娘は何が起こったのかもわからない、何の罪もないのに、急に襲ってきた炎と煙と熱の中で、恐怖と苦しみの地獄のような中で亡くなっていったことは、本当に悲しく、かわいそうでしかたがありません。できることなら、事件前の健康な娘を返してほしいです。平和で楽しかったあのころの日常に戻してほしいです」と訴えました。
被告に対しては、「それがかなわぬなら、せめて非を認めて罪を償ってください。被告の行った行為が悪魔の仕業としか思えないほどひどい仕業で、もっとも重い刑罰の判決しかないと思います」と結びました。