サッカーJ1 ヴィッセル神戸が初優勝 クラブ創設29年目

サッカーJ1は、首位のヴィッセル神戸が名古屋グランパスに2対1で勝って、クラブ創設29年目で初めての優勝を果たしました。

J1首位のヴィッセルは、ここまで勝ち点を「65」とし2位の横浜F・マリノスとの勝ち点の差を「1」としていて、25日の試合に勝てば初優勝が決まる中、ホームの神戸市で5位の名古屋グランパスと対戦しました。
ヴィッセルは前半12分、井出遥也選手のゴールで先制すると、14分には、武藤嘉紀選手の今シーズン10点目となるゴールで追加点を挙げました。
ヴィッセルは試合を優位に進めていましたが、30分、グランパスに1点を返され、2対1と、1点リードで前半を折り返しました。
後半は、両チームともに決め手を欠く展開が続き、試合終盤は、グランパスの攻撃をヴィッセルが全員の守備で守り切り、このまま2対1で勝ちました。
ヴィッセルは、勝ち点を「68」に伸ばし、2位との勝ち点の差を「4」に広げ、最終節を残して優勝を果たしました。
ヴィッセルは、1995年のクラブ創設から29年目で初めてのJ1優勝を果たしました。

【吉田孝行監督“誇りに思う”】
ヴィッセル神戸の吉田孝行監督は試合後のインタビューで「長い間サポーターは待っていたと思う。本当に選手、スタッフが一丸となってやってくれた。選手は今シーズン、第1節からここまで走り続けてくれた。チーム内での競争があり、その競争に勝った選手が責任持って役割を果たしてくれた」と今シーズンを振り返りました。
その上で、「選手たちには毎試合の映像見せて、『ここがだめだ』『ここがよい』と修正してやってきたので、選手、スタッフを誇りに思う。そして、この雰囲気を作ってくれたサポーターを誇りに思う」と話すと、会場からは大きな拍手がおくられていました。

【大迫勇也選手“すべて出せた”】
2得点に絡む活躍を見せたエースの大迫勇也選手は、試合後のインタビューで「このために日本に戻ってきたので最高だ。いつもどおり、僕らが今までやってきたことを前半の最初からすべて出せた。それが優勝に繋がった。自分たちを信じて戦うだけだった」と試合を振り返りました。
また、「今シーズンは若い選手が必死に成長した。そして、自分たち経験のある選手がそれを引っ張れたことが、チームとして強かった。優勝できたことを誇りに思うので、全力で喜びたい」と話したうえで、最後にサポーターへ向けて「皆さんはずっと待っていたと思うので喜びましょう」と話すと、会場は大きな拍手に包まれました。

【山口蛍選手“経験ないうれしさ”】
後半に途中出場した山口蛍選手は、試合後のインタビューで「経験したことのないようなうれしい気持ちだ。試合終了のホイッスルが鳴る5分前くらいから気持ちが出ていたくらい、うれしかった」と振り返りました。
また、「個人的には最後、チームへすごく迷惑をかけた。この試合に間に合うかどうかギリギリだった。その中で、家族の支えとチームメートの支えがあり、最後にこういう形で戻って来られてよかった」と、目に涙を浮かべながら話していました。

【ホームのスタジアムで優勝 サポーターは】
試合が行われたヴィッセル神戸のホーム、ノエビアスタジアム神戸では観戦に訪れたサポーターから喜びの声が聞かれました。
小学生の息子と観戦した兵庫県たつの市の会社員の男性は「選手一丸となって戦ったのが優勝の決め手だと思います。ヴィッセル神戸には連覇してほしいです」と話していました。
兵庫県宝塚市から子どもと一緒に訪れた40代の経営者の男性は「試合の前に神戸賛歌を歌ったときはじーんときました。後半はハラハラしましたがとてもいい試合でした。たまたまきょうはチケットが取れて観戦できてよかったです。選手には『1年間お疲れ様でした。夢をありがとうございました』と伝えたいです」と話していました。
また、スタジアムの周辺には25日の試合のチケットを入手できなかったものの少しでも近くで応援しようとスマートフォンの動画で観戦するサポーターの姿も見られ、優勝が決まったことがわかるとその場でガッツポーズをしたり拍手をしたりして喜んでいました。
神戸市内から訪れた会社員の男性は「チケットが取れませんでしたが家では落ち着いて試合を見ることができないのできょうはここに来ました。ゴールキーパーの前川選手がいなかったらチームがここまで来ることはできなかったと思います。選手には『よくやった』と声をかけたいです」と話していました。

【神戸で優勝伝える号外 街の人たちは 】
神戸市内では、ヴィッセル神戸の初めての優勝を伝える新聞の号外が配られ、地元の人たちからは喜びの声が聞かれました。
神戸市中央区のJR元町駅の駅前では、25日午後5時半ごろから地元の新聞社の号外1500部が配られ、道行く人たちが次々に受け取っていました。
25日、スタジアムで観戦していたという神戸市の50代の男性は「17年ほどチームのサポーターとして応援し続けてきたのでうれしくてたまりません。武藤選手や大迫選手が頑張る姿を見て感動しました。阪神が優勝したので、ヴィッセル神戸もと思っていたので良かったです」と話していました。
神戸市の20代の男性は「初制覇を果たしてすごいですね。プロ野球、そしてサッカーと、関西も乗りに乗ってますね。まさか本当にヴィッセル神戸まで優勝するとは思っていなかったのでうれしいです」と話していました。
また、神戸市の60代の女性は「ヴィッセル神戸は地元の人たちとも一緒に、阪神・淡路大震災を乗り越えてきたチームなので、こうして明るいニュースを届けてくれてうれしいです」と話していました。

【神戸で喜びの声 公式グッズ店でも】
ヴィッセル神戸がクラブ創設29年目で初めての優勝を決めたことを受けて、神戸市内では喜びの声が聞かれました。
神戸市中央区にあるヴィッセル神戸の公式グッズショップには、試合の終盤から初優勝の瞬間を見守ろうと続々とファンが集まり、店内のテレビで試合を見守っていました。
神戸市の20代の女性は「阪神が優勝して、ヴィッセルも優勝して、関西が大盛り上がりするのでうれしいです。2連覇目指して来年も頑張ってほしいです」と話していました。
神戸市の30代の夫婦は「神戸出身で子どものころからずっと応援していたので、初めての優勝が決まってうれしいです。おめでとうございます」と話していました。
神戸市の20代の男性は「試合のラスト5分は緊迫していましたが、優勝が決まって本当によかったです」と話していました。
また、神戸市の小学3年生の男の子は「全員がワンチームとなって戦っていたので、すごくおもしろい試合でした。将来はヴィッセル神戸のサッカー選手になりたいです」と話していました。

【三木谷浩史会長“歴史変わった”】
ヴィッセル神戸の三木谷浩史会長は試合終了後、試合を見届けたファンを前に「サポーターの皆さん、長いことお待たせしました。皆さんの力のおかげでチャンピオンになれました。神戸市から2003年に、ヴィッセル神戸の経営が危機的な状況だと言われ、最初はお断りしようと思いました。ただ、『私が引き受けないとどうなりますか?』と尋ねると『クラブは消滅します』と言われたので、大きな損を出すことは分かっていましたがこれも何かの縁だと引き受けました。きょうで歴史が変わりました。これからも選手、スタッフ一丸で神戸市と兵庫県を盛り上げていきたいと思います」とあいさつしました。

【試合後会見で監督は】
ヴィッセル神戸の吉田孝行監督は試合後の記者会見で「選手にはいつもどおりの攻守にアグレッシブなサッカーをしようと声をかけた。プレッシャーもなくみんなでやってやるぞといういい状態で試合に入れた」と25日の試合を振り返りました。
そして、阪神淡路大震災の年に誕生したチームが初優勝を果たしたことについて、「震災とは切っても切れないチームだし、何かできないかと先輩たちがいろんなことを成し遂げてくれた。震災のことが忘れられることがないよう『ヴィッセル神戸はこういうクラブなんだよ』と次の世代にも伝えていきたい」と話していました。

【酒井高徳選手談話】
優勝後、神戸市内のホテルで行われた記者会見で、酒井高徳選手は「正直、今シーズンはケガをしがちで、あまりこういったシーズンを過ごしたことがなく必死だった。ただ、自分が離脱した期間も代わりにそのポジションに入ってチームを勝たせてくれた選手がいた。なので、自分がふだんとは別のポジションで出場したときには、チームの力になろうとした。そしてきょう、皆で笑えたことをうれしく思っている」と話していました。

【井出遥也選手談話】
初優勝がかかった大一番の試合で先制ゴールを決め、勝利に貢献した井出遥也選手は「全員でつかみ取った優勝なのですごくうれしい。シーズン中、苦しい時期もあったが頑張り続けてきたので優勝がかかった大事な試合でゴールを決められてそれが勝利につながったので最高です」と喜びを語りました。
そのうえで、「ヴィッセルに関わるすべての人たちにおめでとうと伝えたいし、僕たちもきょう一日幸せをかみしめたい」と話していました。

【武藤嘉紀選手談話】
2点目のゴールを決めた武藤嘉紀選手は「勝てば優勝というこれ以上ない舞台が整って、きょう勝てたということは本当に誇らしく思うし、最高の喜びの中にいる」といまの気持ちを話しました。
また、試合後に涙を流していたことについて問われると、「集中を切らしてはいけないと思いながらもアディショナルタイムに入ったくらいから涙が止まらなくなっていた。この一瞬のためにすべてをささげてきたものが込み上がったのだと思う」と話していました。
そして「今シーズン最後まで戦えたのは間違いなくファン・サポーターの熱いサポートと応援のおかげだ。本当に恩返しできてよかった」と感謝を口にしていました。

【大迫勇也選手談話】
記者会見でエースの大迫勇也選手は、プロ1年目に鹿島アントラーズで優勝して以来、2回目となるJリーグでの優勝について「僕が初めて優勝を経験した時は先発メンバーで出ることもあったが、ベンチからの出場の方が多かった。その時、先輩たちにいい背中を見せてもらったと思っていて、今回は僕たちが若い選手にいい背中を見せられた。若手の選手たちには今回の成功体験があるので自信を持って成長してくれると思う」と話していました。

【会見で三木谷会長は】
優勝後、神戸市内のホテルで行われた記者会見で、ヴィッセル神戸の三木谷浩史会長は「われわれが経営を引き継いでから20年、ようやくここまで来られた。ヴィッセル神戸はもともと阪神・淡路大震災の日に練習が始まるはずだったという歴史があるクラブなので、神戸市民のみならず、その近隣の方々にも応援を頂いて、優勝することができたと思っている。これが一過性で終わらないように、今後も、ヴィッセル神戸全体として全力で取り組んでいきたい」と話していました。
また、経営を引き継いでからの20年については「J2に降格したこともありつらかったが、この日のためにそういった苦難はあったのだと思う。もともと地域に対する恩返しのためにこのクラブを引き受けたので皆さんに助けてもらいながら、恩返しができた」と振り返っていました。

【神戸で祝勝会】
25日午後8時ごろから神戸市で行われた祝勝会では屋外に選手や監督が集まり、始めに、吉田孝行監督やエースの大迫勇也選手などが鏡開きをして優勝を祝いました。
その後、25日、2点目のゴールを決めて勝利に大きく貢献した武藤嘉紀選手が「三木谷会長、ボーナスアップをお願いします。飲んでも飲まれるな、でも、きょうは飲んでいいぞ」と、威勢よく乾杯のあいさつをすると、選手たちは一斉にビールかけを始めました。
祝勝会は10分ほど行われ、この中で、武藤選手や大迫選手、それに、途中出場した山口蛍選手などがお互いにビールをかけ合うなどして、喜びを分かち合っていました。

【退団のイニエスタ選手 動画で祝福】
試合終了後、ことし7月に退団した元スペイン代表のアンドレス・イニエスタ選手が寄せた動画でのメッセージが、スタジアムのビジョンに映し出されました。
イニエスタ選手は、始めに日本語で「こんにちは皆さん。優勝おめでとうございます」とあいさつしました。
そして、日本語の字幕つきでのメッセージでは「チームメート、スタッフ、クラブを大きくするためにこの数年間、特にこの1年間、全力で戦ってきたすべてのクラブ関係者の皆さん、そして、私たち皆の会長である三木谷さん本当におめでとうございます。また、どんなときもチームを支え、エネルギーを与え続けてくれたファン、サポーターの皆さんには特別に感謝をしたいです。皆さんのおかげでとても、とても特別なタイトルをクラブの歴史に残すことができました。全員が全力を出し切り、ひとりひとりが最後まで戦い抜いた最高のシーズンだったと思います。私も遠くにいながら、エネルギーを送り続けてきました。長年、リーグタイトル獲得を目標に戦い続けてきた私にとっても2023年をこのような形で終えることができることはとてもうれしいことです。きょうはみんなでこの瞬間をかみしめて幸せな気持ちにどっぷりとつかりましょう。この歴史的な勝利はクラブと神戸市民の皆さん、そして、優勝の日を夢みて、ヴィッセル神戸と歩み続けてきたすべての人の努力のたまものです。皆さんまたお会いしましょう」と話していました。
最後に再び日本語で「おめでとう、おめでとう、おめでとう、またね」と、手を振っていました。

【創設期に活躍した「ミスター神戸」 永島昭浩さんは】
サッカーJ1で、ヴィッセル神戸が初優勝を果たしたことについて、地元出身で、チームの創設期に活躍した永島昭浩さん(59)は「大変な時期から長年支えてくださった多くのサポーターに報いる優勝になったと思う」と喜びを語りました。
永島さんは現役時代、Jリーグが開幕した1993年に1試合3得点のハットトリックを日本選手として初めて達成するなどフォワードとして活躍し、日本代表でもプレーしました。
1995年の阪神・淡路大震災で兵庫県神戸市の実家が全壊し、この年のシーズン途中に「神戸を勇気づけたい」と当時所属していたJリーグのクラブからJFLのヴィッセル神戸に移籍しJリーグ昇格に貢献するなどチームの創設期を支え、「ミスター神戸」とも呼ばれました。
永島さんはヴィッセルが初優勝を果たしたことを受けて、25日夜、NHKの取材に応じ、「神戸で生まれ育ったクラブのOBとして本当にうれしい。何より大変な時期から長年支えてくださった多くのサポーターに報いる優勝になったと思う」と喜びを語りました。
永島さんは、今シーズンの戦いぶりについて、「僕らの時代はチームが始動できるか不安な気持ちもあるなか、傷ついた街の復興のシンボルになれるようにという思いで全力を出し切ることが一番大事だと思って戦っていた。いまのチームも全力でやって、毎試合終わったらピッチに倒れる姿を見て、当時を思い出す感じがした」と創設当時との共通点を感じていたと明かしました。
そして、「選手やスタッフ、サポーター、いろんな人の力が合わさった結果だと思う。喜びを分かち合えるようなパレードとかしてもらいたいですね」と笑顔で話していました。

【今シーズン 優勝への軌跡】
今シーズンのヴィッセルはJ1で唯一、開幕から3連勝して勢いに乗り、シーズン序盤から首位に立ちました。
シーズンの中盤には、前年王者のF・マリノスが6連勝で追い上げて、6月と8月にF・マリノスに首位を明け渡すなど、この2チームが激しい首位争いを繰り広げました。
それでもヴィッセルは、9月に再び首位に立つと、F・マリノスと勝ち点わずか「1」の差で迎えた、9月29日のアウェーでの直接対決に2対0で勝って勝ち点の差を広げると、そのまま逃げ切り初優勝を果たしました。

【“攻守で走り抜くサッカー”で頂点に】
クラブ初のJ1優勝を引き寄せた要因は“攻守で走り抜くサッカー”を徹底したことでした。
昨シーズン途中から指揮をとる吉田孝行監督のもと、チームがまず統一を図ったのが前線から相手にプレッシャーをかけ、ボールを奪ってから一気に攻撃へとつなげることでした。
フォワード登録の武藤嘉紀選手などが前線からの守備で相手からボールを奪い、日本代表や海外での経験が豊富なエースストライカー、大迫勇也選手が攻撃の起点となってゴールを量産。
大迫選手は5月と7月の月間MVPに輝き、チームを勢いづけました。
チームが“攻守で走り抜くサッカー”で好調を維持する中、レギュラーから外れ出場機会が減っていたアンドレス・イニエスタ選手が7月に退団。
さらに対戦が2巡目に入ると大迫選手へのマークが厳しくなりましたが、若手選手の活躍がチームを支えました。
大きく成長した一人が佐々木大樹選手です。
24歳の佐々木選手はこれまでリーグ通算わずか2得点だったものの今シーズンはゴール前での勝負強さを見せて7得点をあげました。
エースの活躍と若手の成長で得点数は昨シーズンのリーグ12位から、今シーズンはリーグ2位に向上しました。
さらに守備面でも成果が現れました。
フォワードの武藤選手、ミッドフィルダーの山口蛍選手、ディフェンダーの酒井高徳選手などが中心となってポジションにかかわらず全員で最後まで走りぬき、相手に決定機を与えず、失点の少なさはリーグ3位となっています。
攻守に安定した力を見せたヴィッセルはシーズンを通して一度も連敗することなく悲願のJ1初制覇を成し遂げました。

【阪神淡路大震災の年に創設 初の頂点に】
ヴィッセル神戸は、社会人チームの川崎製鉄サッカー部を母体に神戸で初めてのプロサッカーチームとして1995年に創設されました。
チームの初練習が予定されていたこの年の1月17日、阪神淡路大震災が発生し、チームとしての最初の活動は地域住民らとともに行う復興作業でした。
被災地を元気づけたいと奮起したヴィッセルは、翌年のシーズンで元日本代表の永島昭浩さんの活躍などでJFLで2位となり、Jリーグ昇格を果たしました。
Jリーグ加入後は、カズこと三浦知良選手や、播戸竜二選手など実績のあるフォワードが活躍しました。
しかし、その後は成績の低迷や観客動員数の伸び悩みで、経営が行き詰まり、2003年にはJリーグで初めて民事再生法の適用を申請しました。
運営を引き継いだのが当時、インターネットビジネスで急成長していた「楽天」の持ち株会社で、日韓ワールドカップで活躍したイルハン選手を獲得するなど観客動員数の増加を目指しました。
2018年には、元スペイン代表のアンドレス・イニエスタ選手が強豪・バルセロナから移籍し、チームは2020年の元日、サッカー日本一を決める天皇杯で優勝し、クラブ初のタイトルを獲得しました。
一方で、これまでリーグ戦での優勝はなく、1995年のクラブ創設から29年目で初めて、J1の頂点をつかみました。