洲本城に「石塁」を確認 大坂城守る重要な役目担ったか

兵庫県の淡路島にある「洲本城」を洲本市教育委員会が調査した結果石垣の上部に「石塁」と呼ばれる部分があったことが確認されました。
石塁のさらに上には強固な塀が築かれていたと推測されるということで、教育委員会は、洲本城が大坂城を守る重要な役目を担っていたとみています。

「洲本城」は、1585年に豊臣秀吉配下の武将、脇坂安治が城主になったあと石垣を築くなどの改修を行ったとされています。
今回、洲本市教育委員会が本丸の西側で発掘調査を行ったところ、石垣の上部に、高さ1メートル50センチ、幅1メートル80センチにわたって石が積み上げられた「石塁」と呼ばれる部分があったことが確認されたということです。
石塁は、確認されただけで長さがおよそ15メートルあり、その上には、強固な土塀が築かれていたと推測されるということで、教育委員会は、洲本城が大坂城を守る重要な役目を担っていたとみています。
洲本市教育委員会の金田匡史さんは、「大阪湾を通って来る敵の侵入を防ぐため強固なつくりになっていたと考えられる。城の歴史をひもとく、貴重な発見と言える」と話しています。
この調査結果については、10月28日に現地説明会が行われます。