大阪 京橋駅空襲から78年 遺族らが犠牲者を追悼

終戦の前日にアメリカ軍の爆撃によって500人以上が犠牲になったとされる大阪・京橋駅の空襲から14日で78年となり、遺族や近くに住む人などが参列して慰霊祭が行われました。

終戦前日の昭和20年8月14日、大阪はアメリカ軍のB29による大規模な空襲を受け、京橋駅では駅舎や電車に爆弾が直撃し、子どもも含めて500人以上が犠牲になったとされています。
それから78年となる14日、京橋駅の南口にある慰霊塔の前では犠牲者を追悼する慰霊祭が行われ、遺族や近くに住む人などが集まりました。
そして僧侶が読経する中、参列者が順番に焼香し、静かに手を合わせて犠牲者を悼みました。
当時26歳だった父親をこの空襲で亡くしたという78歳の女性は、「たくさんの人が亡くなり、父の遺体も見つけられず、手がかりは軍服に書いてある名前だけだった。お墓には当時この場所にあった石しか入っていないので、毎年ここに来て手を合わせています。戦争はいやです」と話していました。
また、父親が近くの軍需工場で働いていたという64歳の男性は「父は当日、偶然休暇だったことで空襲を免れたが、同僚などがたくさん亡くなったと聞いた。父が毎年参列していたが、3年前に亡くなったので代わりに弔いに来ています」と話していました。